2010/6/14-16
(A)
講義の準備は(来週分も含めて)だいたいできた。
一度こういうふうに話を整理してみると、ずいぶんと見通しがよくなってくるものだ。
ただ、その過程ではっきり自覚してきた問題意識というのがあって、この扱いが悩ましい。
とりあえず来月、某所でこの方面の話をすることになったのだけれど、
そうするとその勢いで9月の某企画も参加すべきだろうか、と思わなくもない。
残念なことに、と言うべきかどうかわからないが、
この問題意識はたぶん僕にとって本質的すぎて無視できない、と思う。

(B)
久しぶりに、自分の博士論文に直接関わる先行研究に遭遇した。
つい最近出たばかりの論文で、活力論争に関するオイラーの1745年の論考を分析している。
その論考はある意味、僕の博論の中核になる一編で、それに注目したこと自体はよいと思うし、
この研究論文でなされている議論にも大筋で不服はないのだが、複雑な心境だ。
というのは、僕は3年前にこの論考を読んで以来、それが書かれるまでの経緯と
時代背景とを追い続けてきたと言っても過言ではないからだ。
つまり、この研究論文に書いてあるくらいのことはとっくに知っていたのだが、
その歴史的位置付けを明らかにしない限り満足できない、と思ってやってきたのだ。
自分ではようやく7合目くらいまで来たと感じているのだが、同時に先は長いとも感じている。
そういう次第なので、オイラーのこの論考の分析だけで一編の論文になっているというのが
僕の感覚では納得できない。
しかも、挙げるべき先行研究も二つほど抜けているし、一箇所とんでもない誤解があるし・・・。
だが一方で、そもそもこの論考自体、これまでまったく議論されてこなかったのは確かだし、
僕もこの話題については何一つ公に発表したことがないので、非難できる筋合はない。

・・・。

もう一つ、ISISの最新号で、オイラーを扱っている本の書評が出ているのを読んだ。
まったく期待外れ、というのがそこでの評価で、確かにその書評で引かれている文章を見れば
そう思わざるを得ない。
実を言うとその本、僕も昨年購入して積読状態になっているのだが、一気に読む気が失せた
(確かに、見た感じ、これはいまいちかも、とは思ったのだ。高かったのに・・・)。

こういう状況を見ていると、いくら自分の進めている研究がまだまだ不完全とは言え、
中途半端な状態であっても発表したほうがいいんじゃないか、
現状でも自分のほうがまだましなことを言えるんじゃないか、という誘惑に駆られる。



・・・要するにここしばらくの不安定な状況は、
やりたいことが自分のなかで二極化しているということに原因があるわけだ。
と言うより、やるべきなのはBだがやりたいのはどちらかというとA、という状況。
現実的な解決策が「Aはひとまず置いておいてBをまずやれ」なのはわかっているが、
しかし博士論文とはそういう気分で片付けられるものではないだろう。
よくも悪くも、没入しないと駄目なのだ。
自分としては何とか、Aの問題意識をBのなかにうまく取り込みたいのだが・・・。

・・・。

展望はないのだが、ともかく、

明日(と来週)の講義は楽しんでやりたい。
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by ariga_phs | 2010-06-16 22:03 | 歳歳年年
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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