『コペンハーゲン』
マイケル・フレイン『コペンハーゲン』(小田島恒志訳、ハヤカワ演劇文庫、2010年)の感想。



1941年、ドイツ占領下のコペンハーゲン。
物理学者ハイゼンベルクが、かつての師ボーアの元を訪ねる。
戦時中、はからずも敵同士となった二人はそこで何を話したのか、
そしてハイゼンベルクの目的とは――



――という内容の戯曲である。
その存在は前から知っていて、翻訳があることも知っていたのだけれど、
少々入手しにくい代物だったこともあり、読んだことがなかった。
文庫化されていたのを知らず、たまたま本屋で見つけて即購入した次第。

話の内容自体はフィクションだ。それは疑いようがない。
なぜなら、ハイゼンベルクとボーア、それにボーアの妻マルグレーテの三人が、
この1941年の出来事について死後に回想する、という設定なのだから。

とはいえ、完全にフィクションかというと難しいところがある。
なぜなら、キャシディのハイゼンベルク伝(『不確定性』邦訳1998年)を始めとする
さまざまな歴史研究を踏まえて創作されているからだ。

そもそもハイゼンベルクのボーア訪問(これ自体は事実)がなぜそうも問題かというと、
これがドイツの原子爆弾開発計画と関わっている(かもしれない)からである。

ナチス政権下、多くの物理学者がアメリカその他に亡命する中で、
ハイゼンベルクは自分の国に残った。
そんな折、1938年にウランの核分裂が発見される。
世界中でその兵器転用の可能性が取りざたされ、実際にアメリカでは、
まさに1941年に原子爆弾開発プロジェクトがスタートした。
ドイツに先を越されては大変なことになる、というのが一つの動機だった。

ハイゼンベルクのボーア訪問は、ドイツでの原爆開発と何か関係があるのか、ないのか。



話の筋、というものは、この作品の場合、あるようでない。

三人がその日の出来事について話し合うのだが、それぞれの記憶や見解は食い違う。
肝心なところがおぼろげなままに、会話は進行していく。

読んでいる側は――劇なので本来なら「観ている側は」と言うべきだけれど――、
本当はどうだったのか、ということが気になる。
Aなのか?
Bなのか?
それとも、AでもBでもあるのか?

結局、真相は闇の中だ。
どの可能性も不確定なまま残り、多くの可能性が互いに相補的な仕方で示される。



本編のあとに長大な「作者あとがき」がついていて、これがまた面白い。

作家は関連するさまざまな歴史研究を読んでいて、
それぞれの主張を紹介しつつ、独自に批判を加えている。
誰々はこう言っているが、引用文や参照している文献を見ると根拠に乏しいのではないか、etc.
・・・本職の歴史研究者顔負けだ。

そうして考えさせられるのは、事実を明らかにするということの難しさにほかならない。
同じ史料を読んでもなお、読み手(研究者)はそれを違ったふうに解釈する。
史料にこう書いてある、というのと、だからこういうことが起こったのだ、というのとのあいだには、
埋めることのできないギャップがある。

それで結局、1941年のハイゼンベルクをめぐっては、事実はどこまでいっても確定しない。
もちろん確定はしなくても幅を狭めることはできるわけで、
そのあたりが歴史研究者の腕の見せ所ということになるのだろう。
それでも残る不確定性については、この戯曲のように美味しく料理していただければ、と思う。
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by ariga_phs | 2010-12-04 21:09 | 斜めから読む
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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