フィンドレン『自然の占有』
ポーラ・フィンドレン『自然の占有:ミュージアム、蒐集、そして初期近代イタリアの科学文化』
伊藤博明・石井朗訳、東京:ありな書房、2005年.
[原書:Possessing Nature: Museums, Collecting, and Scientific Culture in Early Modern Italy, University of California Press, c1994.]




本当はウェブサイトでちゃんと書評を書こうと思ったのだが、時間と労力を割けなかった。
長いこと図書館から借りていて、いいかげん今日返してきたので
(というのも明日からまたしばらく東京なので)、
ひとまず印象に残ったことだけでもメモしておこう。

****

16世紀から17世紀にかけての、主にイタリアを対象として、
博物誌とか博物学とか自然誌とか自然史とか呼ばれる学問(※)が
どのように営まれていたかを記述した大著である。

(※英語だと"natural history"だが、日本語でどう訳すかは必ずしも一定しない。
個人的には、文字通りの訳である「自然史」を使いたいと思うのだが、
これだと人間の営みではなくてその対象である多様な自然のほうがイメージされる気もして、
「自然誌」のほうがよいかも、とも思う。悩ましいところ。)


たくさんの登場人物が出てくるが、強いて言えば16世紀を代表するのがアルドロヴァンディ、
17世紀を代表するのがキルヒャーという位置づけになっている。
そして、同じ自然史と言ってもこの二人(や他の人々)の考えや実践には違いがあって、
それらがどう変わっていったのかというところもこの本の読みどころと言える。

僕がこの本を面白いと思う理由は、ひとことで言うと、
いわゆる科学革命のコインの裏側に当たるものを描いているからだ。

16世紀から17世紀にかけてのヨーロッパといえば、旧来のアリストテレス的学問の発展に対して
実験や数学を重視した「新哲学」が存在感を増してくる時代(=科学革命の時代)なわけだが、
この本の対象である自然史、つまり自然界のさまざまな植物・動物・鉱物その他珍しいものを
ひたすら蒐集し、それについてひたすら詳しく記述するというタイプの学問は、
要するに時代遅れになっていく。この本全体が、そういう経緯を語っているとも言える。

しかしそれはあくまで新哲学サイドから見た場合の話であって、
逆側から見るとだいぶ事情は違ってくる。
それを象徴しているのがガリレオ。
何度か少しだけ登場するのだが、一人だけ物凄く《浮いている》という印象を受けるのだ。
当時の「科学文化」にあっては、この人物は相当変な人だったのだな・・・と。

こういった、《負けた側》からだとよく見えるもの、というのは他にもいろいろありそうである。

それから、この本は構成にも工夫がある。
章を追うごとに年代が新しくなる編年的な記述ではなく、
各章がむしろテーマ別に構成されているのだ。

多くの場合、各章のそれぞれで、16世紀から17世紀までが辿られている。
奈何せん一章がやたらと長いので、この構成は読む側としては嬉しい。
新しい章を読むごとに、ある程度は以前の話の復習にもなる。
それに編年的に書くよりも、こちらのほうが歴史的変化を実感しやすいだろう。

****

この本は著者の代表作と言っていい一冊で、
初期近代科学史の(日本語で読める希少な)基本文献の一つ。
ちなみにこの方には、ジェンダー科学史的な論考もいくつかある。

前から読んでみたかったのを、今年度、不定期的に太田さんと読んでいた。
さすがにこの分厚さ(700ページを優に超える)だと、一人では挫折する可能性が高い。
最後までお付き合いいただいたことに感謝。
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by ariga_phs | 2011-01-28 23:59 | 何かに使えそう
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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