小川洋子『完璧な病室』
小川洋子『完璧な病室』福武書店、1989.



『完璧な病室』『揚羽蝶が壊れる時』という、中篇二篇を収める。
初出はどちらも80年代の終わり頃。
最初期の作品とはいえ、思ったよりも古いことに気付いて驚いた。
そして案外、この人の初期のものはあまり読んでいないということにも気付いた。

****

「完璧な病室」とは、「わたし」が弟と最後に過ごした場所だ。
大学病院の十五階にあったその個室は、
係の人が毎日やってきて「手際よく完璧に」掃除をしてくれた。

「わたしがこんなにも病室を好きなのは、そこに生活がなかったからだ」。

病気の弟の透けるような肌と、どこまでも静かで明るい病室。
clear(明晰)でuniform(一様)なそこは、一切の変化を免れているかのように
「わたし」には感じられる。

小川洋子の作品にはときどき、こういうテーマが登場するように思う。
不変で、起伏もなく、無色透明かつ無味無臭の《存在》。
そういった、イデア的なものに対する憧憬。
なぜこの人が、ほかの作品と作風がだいぶ違うように思える
『博士の愛した数式』を書いたのか、少しわかる気がする。

とはいえ、そうした《存在》は、生きている人間の彼方にある。

病室はあくまで、去っていこうとする弟の居場所である。
あるいは、『揚羽蝶が壊れる時』において、
「わたし」が痴呆になった「さえ」を入居させる先である。

長いあいだ二人で一緒に暮らしていた「さえ」がいなくなったあと、
「わたし」は自分と「さえ」のどちらが正常でどちらが異常なのかと自問を繰り返す。
「放っておけば必ず汚物になってしまうものを食べて、暮らしている」自分と、
「最後にポップコーンを一粒口に入れてから、食べることを拒否している」彼女とで、
いったいどちらのほうが、と。

正常なもの、あるべきものは、「わたし」の生活を超えている。
「彼女は、僕たちと同じ場所には居ない人だ」と「ミコト」は言う。
食欲がなくても、「わたし」はいろいろなものを口にせざるを得ない。
そのうえ「わたし」は、胎内にすら、自分ではない何かの存在を感じている。

完璧なもの、正常なものは、生きているわたしの中にはない。
それは去っていく人たちの向かう先にあって、
わたしは無力にも、ただそれを見送るだけだ。

けれどこの事態に直面したとき、わたしはその記憶を語り始める。
失われていくものについての語り、は、この人の作品の中心的なテーマだと思う。
完璧なものに打ちのめされつつ、その「痛み」を少しずつ語ることで、
わたしはこれからも、生活を続けていくのだろう。
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by ariga_phs | 2011-02-05 20:56 | 斜めから読む
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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