石井洋二郎『フランス的思考』
石井洋二郎『フランス的思考:野生の思考者たちの系譜』中公新書、2010.



「何々的」という言葉は、たちが悪い。
日本的政治風土とか女性的感受性とか、そう言われると何だかわかったような気がしてしまう。
確かにそこには何がしかの真理が含まれている気もするわけだが、
そのレベルで満足して立ち止まってしまうと、ものごとが先に動かなくなる。
そうして固まってしまった思考は、往々にして有害だ。

この本は幸い、そういうタイプの本ではなかった。

序章でひとまず、合理主義と普遍主義ということで「フランス的思考」の大雑把な特徴付けをし、
そのあと6人の人物を通して、この二つのラベルで本当に「フランス的思考」が語れるのか、
を問い直すということを行っている。
その6人とは、サド、フーリエ、ランボー、ブルトン、バタイユ、バルト。
こう言ってよければ、思想家としては異端の系譜に属する人々である。

ここで取り上げられている人物のなかでは、バタイユには以前から興味があって、
多少関連する本を読んだりしていた。
そのときに感じたのは、この人の言っていることは確かにとてつもないが、
話としては意外と筋が通っているということだった。
ほかの人物については詳しいことをこれまでほとんど知らなかったのだが、
少なくともこの本を読んだ印象では、バタイユの場合と同じことを感じる。
一見無茶苦茶に見えて、案外筋が通っているのだ。

だから、彼らの主張は理解できる。
「理解する」ということは文字通り「理」を「解する」ということだから、
そこに「理」がなければそもそも理解は成立しない。

にもかかわらず、彼らの主張はときに恐ろしい。
本能的に、それは危険だと感じることが少なくない。
思考すること、ものごとを筋道だてて考えることそれ自体は徹底的に擁護されねばならないし、
著者の言う通りそれは「純粋な喜び」だと僕も思うのだが、
その行きつき先が必ずしも好ましいものとは限らない、というこの事態をどうすればよいのか。
僕にとっての問題はむしろ、このことにある。

急いで付け加えておくが、僕はここで何か結論を出したいわけではない。
「この事態をどうすればよいのか」と考えること自体が僕にとっては楽しいことだ。
ちょうどこの本が、「フランス的思考」とは何かという問いに対する答を与えていないのと同じく。

「思考がなんらかの答えを提示することで
「先に進む」ことをめざさなければならない理由が、
果たしてあるのだろうか?」(230頁)


もう一つ、この本を読んでいて考えさせられたのは、例の、言語と思考の問題だ。

著者は言う。デカルトは「私が考える」ことを自明の前提としたが、
しかし思考がほとんど言語そのものであり、かつその言語が私に先立って与えられているなら、
それを通じて考えられたことがどうして「私」個人のものだと言えるのだろうか、と。

著者はこれを主として詩人ランボーに即して言っているのだが、
この本で取り上げられた6人の中では、僕はどうしても、この人物だけ次元が違うと感じる。
ほかの5人はなんだかんだ言っても、その人物自身の考えに基づいて
いろいろなことを言っているように思うのだが、ランボーだけはそうでないような気がするのだ。
(ブルトンのように、あえて自分を消すことを追及した人物であっても、
それを追及しているのは「私」である。)
言い方を変えると、どうもランボーという人の場合だけは、本人が言うように
「人が私において考える on me pense」という事態が本当に成立しているような気がする。

もしそうだとすれば、それは畏ろしい。
なぜならその人物を理解する途が閉ざされているからだ。
その口から発せられる言葉が目の前にいる人間の思考ではないという事態に直面して、
僕はひたすらうろたえる。

しかも、そこから出てくる言葉というのは、往々にして危険なほど魅力的だ。
少し大袈裟な言い方になるが、本物の詩人は天から降ってくる言葉を歌にしていると思う。
詩人でない僕は、ただそのことに圧倒され、なぜこんなことが起こるのかとひたすら考える。
何とかしてそこに理屈をつけようとして、煩悶を繰り返す。

何が詩的で、何が哲学的か。
「何々的」をめぐる思考は、こうしていくらでも進んでいき、留まるところを知らない。

そしてそれは、案外「カモノハシ的」でもあるように思う。
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by ariga_phs | 2011-02-17 21:40 | 斜めから読む
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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