森田「科学と疑似科学」(2009)
森田邦久「科学と疑似科学を分ける2つの基準」
『科学哲学』第42巻(2009年)、1-14頁。



科学と疑似科学を分ける基準は何か、という
いわゆる境界設定問題(線引き問題)についての論考。

タイトルにある二つの基準ということの意味は、
「実験・観測的基準」と「理論的基準」という二つを併用するということである。
ものすごく大雑把にいうと、何かが疑似科学である、とは

「A それが主張する現象論的法則が実験・観測によって確証されていない」

場合と、

「B それによる[現象論的法則の]理論的説明の仕方が科学的でない」

という二つの場合がある、ということになる([]は僕の補足)。

この区分そのものは、新しい視点ということではあるらしいのだが、
言われてみたらまあ確かに、という程度の印象だった。
そこで著者はこの二種類の基準を、実際の科学をふまえて経験的に
見つけようとするのだが、個人的にはもっと議論を詰める必要があると思うし、
論点がいろいろと混ざっていて少々わかりにくくなっている感が否めない。
特にAのほうについて、そういう印象が強い。

僕の意見では、この論文の一番よい着想はBのところにあると思う。
著者はまず、科学的説明というものを、(僕なりの言葉でまとめると)
今まで想定されていなかった要素を付け加えるなどして理論を修正することで
新奇な現象を理論の射程に入れられるようになる、というふうに捉える。
そして、ここが重要なのだが、「・・・その修正を行う際の制限があり、
これを破ると科学的ではないということになる」と述べる。

この提案が興味深いのは、これに従うと
ある主張(今の場合、現象の説明)が科学的かどうかは
その主張内容ではなくむしろ主張するときの手続きの問題となるからだ。
そして「修正を行う際の制限」がどの程度のものなのかについては、
絶対的な基準があるのではなく、個人や業界によって違うだろうと当然予想される。

とすれば、今あるような境界線がなぜほかのところではなく
ここに引かれているのかというその理由は、
歴史的にしか与えられないことになるのではないだろうか。
境界設定問題の歴史化、というのは手掛けてみたいテーマの一つなのだが、
そもそもこの問題が本当に歴史化可能かという問題がその前にあるので、
科学哲学サイドの議論をしばらくは見守りたいと思う。

ただ、若干ひねくれているが、科学哲学が科学についての超時間的な見方
(あるいは科学の本質を擁護する議論)を早々に手放してしまうのも
それはそれで興醒めな感がある。
科学と科学でないものについて、線引きができる/できないという
ギリギリのところでのスリリングな議論の展開を期待したい。

****

森田さんは若手の科学哲学研究者。
昨年、『理系人に役立つ科学哲学』という表題の教科書を出されている。

今日(と昨日)は京大で、伊勢田先生主催の科学哲学の日韓若手ワークショップ
というのが行われていて、森田さんも発表者の一人だったので
論文を読んでみた次第。

にしても、科学哲学の発表を久々にいろいろ(と言っても4つだけだが)聴いた。
自分で研究しようという気にはならないが、聴くのが楽しいのは確か。
[PR]
by ariga_phs | 2011-02-22 23:59 | 何かに使えそう
<< 隠岐「数学と社会改革」(2010) 佐藤「発生生物学の黎明」(2010) >>

S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

Vivre Comme Ornithorynque.
筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
ウェブサイトはこちら
カテゴリ
最新の記事
生存確認
at 2013-08-10 21:15
橋本毅彦『近代発明家列伝』
at 2013-06-15 21:32
オディロン・ルドン 夢の起源
at 2013-06-08 21:46
量子の地平線
at 2013-06-02 15:58
仕事
at 2013-05-07 21:26
その他のジャンル