本間「デカルト派生理学と図像表象」(2010)
本間栄男「デカルト派生理学と図像表象」
金森修編著『科学思想史』(東京:勁草書房、2010)、325-369頁。



「一七世紀の哲学者デカルト及びオランダにおける後継者たちの生理学書を
みることによって、歴史上での図像と科学的思考の関係の一端を明らかにする」
というのが目的に掲げられている。

なのでこの論考は、十七世紀における生理学の展開についての概説としても読める。
が、どちらかというと科学にとって図像とは何かをめぐる一つの試論、
と見たほうがよいのかもしれない。
(ただ、著者の本間さん(僕はいまだちゃんとお話ししたことがないのだが)は
どちらかというと十七世紀、特にデカルト周辺の自然学の専門家という印象で、
こういう趣旨のものを書かれたというのは少し意外。)

ポイントは、記述的な図像とモデル的な図像という二つを区別した点にある。
そしてこの二つのうちのモデル的図像、
「実際には目に見えない仕組みを他のものに喩えたモデルを用いたり、
仕組みの概念を図像にして可視化するもの」のほうが、
この論考で扱っているデカルト派の機械論的生理学に特徴的だ、
と著者は言う。

僕の印象では、この論考だけでその主張が正当化できる気はあまりしないのだが、
論点としては面白いし追求してみる価値があるのではないかと思う。

印刷物の増加に伴って図像が多用されるようになった、という話自体は
よく聞くことなのだが、その場合に例として挙がってくるのは
自然史関係(特に植物)や解剖学(有名どころではヴェサリウス)など、
ここでの分類で言うと記述的な図像のほうであるように思う。
そうした記述的図像とモデル的図像との関係はどうなっているのか、
考えてみるのは面白そうだ。
(その点、この論考中にあるデカルト『人間論』の二つの版の比較は
とても興味深い。同じ図のはずなのに、全然描き方が違う。)

ともかく、同時代のいろいろな文献をもう少し比較検討してみる必要がありそうだ。
またそれに加えて、モデル的図像と機械論哲学のあいだに
何か原理的な親和性があるのかどうか(ありそうな気がするが)、
掘り下げた考察をしてみる必要もあると思う。
これを基点にして、いろいろな方面に考察を広げられそうな一編である。
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by ariga_phs | 2011-03-04 21:15 | 何かに使えそう
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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