村上陽一郎『安全と安心の科学』
村上陽一郎『安全と安心の科学』集英社新書、2005.



地震以来、個人として何かできることがあるのかどうかというのとは別に、
自分の専門分野との関連で何かできることはあるのかどうか、
ということを考えている。
けれど、同じ科学史でも、科学と技術、そして社会との関わりを
普段から問題にして研究しているのであればともかく、
数物系の、かなり純粋に概念的・理論的なところを研究している自分に、
それもずいぶんと古いことを調べているような人間に、
何か発言できることがあるのかどうか、僕にはなかなか見えてこない。



この本に対して僕が少しだけ期待していたのは、
表題になっている科学技術の「安全と安心」という問題について、
著者――言うまでもなく、元々は科学史が専門である――が何かしら
歴史的見地から書いているのではないか、ということだった。

残念ながら、その期待はかなりの部分、外れた。

第一章から第三章で、それぞれ「交通」「医療」「原子力」に即して
安全や安心をめぐる問題点やそれをどう考えるかといった話があり、
第四章と第五章で、リスクに対処するための一般論が語られる。
その具体的提言がどうか、ということはここでは措く。
僕にとってそれよりも遥かに重大だったのは、
著者の言う「安全学」を構成するカリキュラムの中に、
科学史なり技術史なりといった言葉が含まれていなかったことだった。
読んでいて、絶句した。



ただ、本全体の中には、一部、科学史的な事柄を語っている箇所もある。
原子力の話(第三章)がまさにそれだ。

ここでは、核分裂反応の発見からマンハッタン計画(原爆開発)へ、
そして戦後のV.ブッシュの報告書へと至る流れが簡単に説明され、
「原子力というのは、高度な科学上の知識を、社会が組織的に利用した
結果としては最初のものであり、しかも、出発点は大量殺戮兵器の開発という
「利用形態」であった」という認識が示されている。
次いで、話は戦後の原子力産業へと進んでいき、
スリーマイル島、チェルノブイリ、東海村で起こった三つの事故についての紹介と、
そこから得られる教訓が述べられている。

限られた紙幅ということもあり、説明そのものはごく手短だが、
原子力についての歴史としては大筋で間違っていないだろう。
(もちろん、取り上げたほうがよいトピックがほかにもいくつか
あるだろうというのは否定しない。)
そして今回の原発震災が、この延長に来るのも明らかだ。



ひょっとして、そういうことなのではないか、と思った。

何かしらの出来事を記憶に残そうというときには、
ただその出来事についてリアルタイムで記録するだけではおそらく足りない。
僕らはそれを、一連の出来事の中に位置づけて語らなくてはならない。
記録することを補完する形で、プロットを整える作業が必要ではないか。
そして僕自身の志向と適性は、どう考えても後者の方を向いている。

ストーリーに埋め込むことで、記憶の風化を防ぐという効果はありそうに思う。
白状するが、この本を読むまで、僕は東海村の事故のことをほとんど忘れていた。
今回の事故に比べれば軽微なことかもしれないが、
そこでも人が亡くなり、被曝した方がいたということを忘れていいはずがない。
いま起こっている事態が人々の記憶からすぐに消えることはたぶんないだろうが、
それでもストーリーを作っておくに越したことはないだろう。
人の記憶は世代とともに失われるが、物語はそうではないからだ。

たとえば、放射能の発見から原子および原子核物理学への展開、
核分裂の発見からマンハッタン計画に至ったプロセス、
ブッシュの報告書から平時の科学技術政策への移行、
日本であれば、原子力の平和利用と科学者・市民運動の展開、
そして一連の事故、etc.

自分の拙い知識に照らしても、これくらいの話題はある。
それは確かに僕自身の研究範囲をずいぶんと超えているが、
仮にも「物理学史」の看板を掲げている以上、
自分は原子力の歴史について一通りのことを説明できるべきではないか、
という気がしている。
そしてそれは何も、新たな研究成果を付け加えなければならないということではない。



当初この本に期待したのとは、まるで違う方向に進んでしまった。
僕にはやはり、歴史を離れて科学を語ることはできない。

・・・それでも、自分の性分に合致するやり方でも何かができるかもしれないという、
その糸口をようやく見つけた気がする。



注記:個人的には、原発よりも地震・津波被害のほうが焦眉の問題だと思っている。
ただ、この自然災害が広義の科学論の範疇か、というと難しいのではないか。

今は一個人として、とにかく一人でも多くの方に無事でいてほしい。
それ以上の贅沢は言わない。
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by ariga_phs | 2011-03-20 23:13 | 斜めから読む
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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