広井良典『ケアのゆくえ 科学のゆくえ』
広井良典『ケアのゆくえ 科学のゆくえ』岩波書店、2005.



二人の友人と会うべく、一日、電車で出掛けた。



一人目とは、一緒に昼食を食べた。
地震以来、精神的に不安定になっているという。
もっともこれは地震が直接の原因なのではなくて、
それまで溜め込んでいたストレスやら、4月からの新生活に対する不安やら
(彼はこの春、新しい土地で新しい仕事に就くのだ)、
そういったものが一気に噴き出してしまった、ということなのだが。

ひとまず自分にできることは、向こうの話をじっくり聴くことと、
さりげなく前向きになれるように相槌を入れたりコメントしたりすること、
せいぜいそのくらいだと思っている。
幸いと言うべきなのかどうかわからないが、過去五年ほどのあいだに、
その種の経験はかなり積ませていただいた。
類は友を呼ぶ、ということなのかどうかはわからないが、
多かれ少なかれ精神的に不安定、という人が、周りには多い気がする。
・・・自分も必ずしも、例外ではないと思うが。



電車に乗りながら、『ケアのゆくえ 科学のゆくえ』という本を読んでいた。
先日、たまたま立ち寄った古本屋で見つけたのである。
そのときに発見したのは、「ケア」という言葉にやたらと惹きつけられる自分だった。
意外な気もしたし、意外でない気もした。
確かに、他人との関係性というのはここ一、二年くらい、自分のテーマになっている。
けれども、「ケア」なるものにここまで心惹かれたのは初めてのことだ。
それが少なからず、地震によって引き起こされたものであるのはほぼ間違いない。

この本は全体としては、「ケア」をめぐる思想と実践を問題にしている。
もう少し具体的には、医療と政治をめぐるさまざまな議論を土台として、
将来の日本社会のあり方を考える、という内容である。
正直に言って僕は、この手の、社会について論じる、あるいは展望する、
というタイプの議論が苦手だ。
どうしてなのかと考えてみるに、おそらく、そこで言われている「社会」なるものが
いったい何を指しているのかについて、なかなか腑に落ちないからであろうと思う。
加えてこの本は、「科学」についても相当大雑把な掴み方をしているので、
居心地の悪さが二倍になっている。

ただそれでも、著者の基本的な主張には共感を覚えるところが少なくない。

「ケア」は、この本では広く人と人との関係性の問題として捉えられているのだが、
その本質は、「「個人」という存在を、「コミュニティ」、ひいてはその底にある
「自然」さらに「スピリチュアリティ」に次元に”つないで”いき、
そのことを通じて、個人の存在の中にこれらの諸次元を回復させる」
ことではないかと言われている。
「スピリチュアリティ」という言葉はとても多義的なので扱いが難しいが、
単に、人間の認識や統制の及ばない超越的なものという理解で良ければ、
僕としてもここで言われていることを受け入れるにやぶさかでない。

あまりに陳腐な言い方になってしまうが、要するに(たいていの)人は
人とのつながりを求め、根源的な何かを信じたがっているのではないか。
僕はそう思う。



地震が起こった後、直接的にも間接的にも被害のなかった自分が心配したのは、
これだけひどいことが起こっているのに私には何もできない、と感じる人が
世の中には相当数出てくるのではないか、ということだった。
もちろん被災地支援が第一なのは言うまでもないし、
親戚や友人・知人を失った人たちへの対策が必要なのも明らかだが、
被災もしていなければ親しい人を失ったりもしていない僕にとって、
より近しい問題が、非当事者における無力感の孤立ということであったのは
おそらく否定できないと思う。

同じような気分の人とともに、泣いたり祈ったりしたい、と切に感じた。
また、少なからぬ人がそう感じているのではないかという、妙な確信があった。
今回、義援金の集まり方が物凄いことになっているのはその表れかもしれないが、
そういうふうに物事を説明できるかどうかは別にどうでもよい。
要は、それがケアということなのではないか、と言いたいのだ。



二人目とは、夕食を一緒に食べた。
半年ぶりに会ったので、その間のお互いの消息などを話しつつ、
当事者意識をめぐるあれこれについても少し喋った。
ここでも類は友を呼ぶ、というべきか、おおむね賛同を得ることができた。
そのことがとても、嬉しかった。



この本の大きな特徴は、全体の半分近くが、さまざまな分野で活躍する方々との、
「ケア」をめぐる対話から成る、という点だ。
僕としてはむしろ、本論よりもこの対話部分のほうが面白かった。

社会はこれからどの方向に進むべきか、医療の在り方はどうあるべきか、
そういう議論の重要性は否定しないが、そういうのは僕の流儀ではない
(将来、気が変わる可能性もあるだろうが、少なくとも現時点では)。
僕はただ、そのつど入れ替わる目の前の人と、対話を続けていきたいと思う。
そのようにして、少しずつでも、日の差す場所を目指したい。
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by ariga_phs | 2011-03-21 23:59 | 斜めから読む
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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