倉部史記『文学部がなくなる日』
倉部史記『文学部がなくなる日』主婦の友新書、2011.



大学の「いま」と「これから」には、嫌でも関心がある。
けれど、いまだ非常勤講師の経験すらごくわずかの僕としては、
現場で何が起こっているのか、よくわかっていない。

いや、もしかすると、現場にいる人ですらよくわかっていないのではないか。
この本を読んで感じたのは、そういうことだ。

著者は変わった経歴の持ち主で、企業で広報・プロデュースの仕事をしたあと、
私立大学に転職して大学運営に関わり、さらにそのあと予備校に移って
「大学連携事情を担当」している、とある。

※詳しくはこちら↓(ただしここ半年ほど、あまり更新がない模様)
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/

大学の現状について論じた本はいろいろあると思うのだが、
この本の強みは、著者が大学、高校、企業という三者の現状を
すべて見てきたという点にある。
その結果、視線がどこか一か所に偏るということがない。
ものごとを公平に見ているという印象を受ける。
特に、入試のあり方について書いている章の中で、
大学の入学試験に対する姿勢と高校の進路指導の現状を、
二つながらに理解を示しつつ、かつ批判しているところなどはユニークと思う。

それで感じたのだが、どうも至る所に、相互「不」理解があるのではないか。

大学には、それをとりまくいくつものアクターが存在する。
将来の大学生となる高校生、その保護者、高校の先生。
企業の関係者、特にその採用担当。
大学内部にも、教員だけでなく、経営サイドの人がいる。
そうした人たちが、ほかの人たちの気持ちをあれこれと推し測って
自分たちの行動を決めているわけだが、その場合にかなり、
相手のことを誤解しているところがありそうな気がする。

自分は一応、大学の教員サイドにくっついているつもりでいて、
そこから高校や企業の状況についてあれこれと思いを巡らせたりするわけだが、
それが案外、的外れなこともあるんじゃないだろうか、と考えた。
いまの高校生や企業はこういうことを求めているんだろう、という前提を置きながら、
その前提を確かめるという作業をあまりしていないのではないか、と。

それを一番強烈に感じたのは、最終章で、著者の経験に基づき、
高校生の心を動かすのはほかならぬ研究そのものだと言い切られている箇所だ。
これが本当だと思えないとすれば、それはむしろ、
研究者・大学関係者としての自分のほうに問題があるのかもしれない。
大学にいるがゆえの「思い込み」が、実はいろいろとあるのかもしれない。

この本は、大学の「いま」について、非常にわかりやすく、
かつさまざまな視点から語ってくれている。
そういう視点の切り替えによって初めて見えてくるものも、きっと多いはずだ。
「文学部がなくなる日」というのが本書のタイトルだが
(そして本の内容そのものは別に文学部に限った話ではないわけだが)、
仮に人文系の学問が大学から消えてなくなることがあるとすれば、それは要するに、
学者が自分の専門領域の中で思考停止したときではないだろうか。
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by ariga_phs | 2011-04-17 21:56 | 斜めから読む
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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