住田朋久「四大公害裁判期における疫学的因果関係論 1967-1973」
『哲学・科学史論叢』第13号(2011年)、45-73頁。
http://hdl.handle.net/2261/43562
いつもお世話になっている、東大科哲の住田さんの初論文。
タイトルにある通り、1967年から73年にかけて争われた四大公害裁判を通じて、
「疫学的因果関係論」という考え方がどのように登場してきたかを論じている。
裁判や法の話はまったくの素人なのでちゃんと理解できているかどうか心許ないが、
被告の責任を問うために立証しなければならない因果関係とはどのようなものか、
それについての考え方がこの時期に変わった、ということのようだ。
それまでは、たとえば工場から出たある種の化学物質が人体に入ると
これこれの影響が生じてその結果こういう症状が出て云々・・・といったことを
きちんと示さなくてはいけないとされていたが、現実問題として、それは不可能に近い。
これに対して疫学の分野では、ある一定の条件(疫学4原則)を満たせば、
そこまで厳密なことが言えなくても因果関係があると認められる。
この論文では、法学と疫学のそれぞれの専門家がどのように公害問題と関わり、
疫学的因果関係論が裁判に取り入れられていったのかが解明されている。
出版物のほか、聞き取り調査も部分的に用いられていて、
論文で挙げられている第一の目的は達成されているように思う。
が、ちょっと批判的なコメントをすると、この論文で第二の目的とされている
「共生成」の観点からの考察は足りていない。
疫学から法、という方向の話がこの論文の主軸なので問題はその逆、
法から疫学という流れがどのくらい認められるかということになるが、
この点については最後の考察のところで少し述べてあるだけで、
本論の中では議論されていないからだ。
疫学を受けて法の考え方が変わった、というのと同じレベルで
法(この場合は裁判)を受けて疫学が変わった、ということを言うには
(言えるかどうかは調べてみないとわからないが)、
疫学サイドの展開をたどらないとやはり無理だろう。
それから、個人的な興味関心を言うと、そもそもこういう裁判の場で
「科学的」(な証拠)とはどういうことだと考えられているのかについても
もう少し詳しく知りたいところだ。
もっとも、法・裁判と科学というのはその筋では流行っている話題だし、
これについてはすでに研究があるのだと思うけれども。
しかし何はともかく、初の論文出版、おめでとうございました。