村上「科学史の哲学」(1980)
村上陽一郎「科学史の哲学」
同編『科学史の哲学』(東京:朝倉書店、1980)、1-42頁。



駒場(東京大学、科学史・科学哲学)の橋本先生の授業にお邪魔している。
今期は修士1年目の人たちを主な対象に、
科学史の基本的な話題やトピックを取り上げて読んでいくとのこと。
その一本目がこちらである。

****

科学史とは何か、あるいはむしろ、何であるべきか、を論じている。
「科学とは何か」「歴史とは何か」について手短に述べてから、
「科学史とは何か」「科学史の方法」が立ち入って主張されている。

言っていることは、大筋では、
過去の科学を現代につながる漸進的発展の過程として見るのではなく、
それぞれの時代の科学をその時代の「文脈」の中で把握しなければならない、
というもの。今日の科学史ではむしろ当然とされている立場だが、
これが書かれた1980年当時には、まだ必ずしもそうではなかった、
ということなのだろう。

とはいえ、著者の言う「全体論的アプローチ」をとることは、
この文章でも示唆されているように、科学史の断片化をもたらすものでもある。
「[...]「将来」への繋がりは差し当り切り離し、無視した上で、
アラビア、ビザンツ、中世、それぞれを、把握するのが至当なのではあるまいか」
という言い分は確かに一面ではもっともな主張だと思うのだが、
本当にそれでよいのかとも、一方で思うようになった。

一番問題だと感じているのは、現在との切り離しを行った場合、
何を研究すべきかというコンセンサスをどうやって保証するのか、という点だ。
実際、科学史というのはあまりに対象範囲が広すぎて、その内部ですら、
研究対象も問題関心もアプローチの仕方も人によって相当に異なる。
そういう場合に、僕らが互いに「それは価値のある研究だ」と認めるには、
どうしたって何かしらの基準が必要なはずではないだろうか。

ところが著者は次のように言う。

「[...]われわれは、過去のある局面を歴史として取り出すか否かを
つねに一意的に定めることのできるような判断基準をもつことを
諦めなければならない。さらに言えば、明確な対象と明確な方法論とをもち、
それなりの専門家の共同体が成立して、そのなかで範型[パラダイム]が共有され、
教科書が書けるというような、一つの学問領域として、科学史が成立することも、
私は諦めるべきだと思うし、望む必要もないようにも思う。」

僕はこの意見には断固として反対する。

第一に、著者の言うような「全体論的アプローチ」をとろうとすれば
ある時代・地域の史料の中に深く分け入っていくことがどうしても必要だが、
そのためには語学を始めとして、研究のための専門的訓練が不可欠になる。
そういったスキルをゼロから独自に身に着けられる人もいるかもしれないが、
そんな真似ができるのはごく一部だろう。
加えて、たとえばアラビア科学史の研究について良し悪しを判断できるのは、
アラビア科学史の知見や研究能力を一定程度持った人だけに違いない。
そうでなければその研究の意義、あるいは欠点は指摘できないだろう。
同業の専門家がいるからこそ研究の質が担保できるという面は確かにある。
結局、著者の目指すもの自体が、科学史の制度化を要求していると思うのだ。

第二に、現実問題として、いまの学問状況にあって
制度化していない学問が生き残る可能性は限りなくゼロに近い。
これに対しては、別にアカデミックな世界で生き延びなくても
お金と時間のある人が半ば趣味的にすればいいという考え方もありうる。
が、そういう具合に趣味として細々とやればいいという以上の価値が
科学史にはあると僕は思っている。
そういう価値を訴えていくためには、個人の筆力もさることながら
組織的な研究の蓄積やアピールが不可欠ではないだろうか。


****


この文章が書かれたのは30年余り前だが、
そこに書かれている科学史研究の基本的姿勢は今でも十分通用する。
しかし僕らはたぶん、そこからさらに一歩、
あるいは二、三歩先へ進まなければならないだろう。
言葉のよい意味で、読み捨てられるべき文章だ。
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by ariga_phs | 2011-04-24 10:24 | 何かに使えそう
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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