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ハイヤーム『ルバーイヤート』
オマル・ハイヤーム『ルバーイヤート』
岡田恵美子編訳、平凡社ライブラリー、2009.



ここではない場所に思いを馳せるのは、簡単なようでいて難しい。
とりわけそれが、行ったことのない場所であれば。



ハイヤームは、今から一千年近く前に生きた、イランの人。
生前は天文学の領域で活躍し、死後になって詩人としての評価が高まったという。
その詩の方向性をあえて一語で表すとするなら、現世主義ということになるだろうか。
ひとは所詮、死ぬ運命、ならばいまは酒を飲め――こう書いてしまうと身も蓋もないが、
実際、こういう内容の詩が多い。

ハイヤームの詩集にはいくつか日本語訳があるようだが、
僕が今回読んだ版には、全部で100編の四行詩が収められている
(ちなみに、「ルバーイヤート」とはペルシア語で「四行詩」(複数形)だそうだ)。
これらの詩は、ヘダーヤトという20世紀イランの文学者にならって八章に分けられ、
それぞれの冒頭に、訳者によるエッセイ形式の「プロローグ」がある。

この形式については、評価がわかれるかもしれない。
せっかくの文学作品に余計な解説めいたものを挟み込むな、というのも
一理ありそうに思う。
しかし僕は、詩そのものと並んで、各章の「プロローグ」を興味深く読んだ。
それらは訳者の、イラン留学時の回想であったり、
イランから日本に来ている人たちと交流した際のエピソードであったりするのだが、
彼の地の人々の生き方やものの見方・考え方を巧みに語っている。
それがあるからこそ、ハイヤームの詩はいっそう理解できるようになる。



ところで、詩を理解する、というのは馬鹿げたことかもしれない。
頭で把握するものではなく、むしろ感覚的に「味わう」ものではないのか、云々。
そのとおりだと思うが、あいにくこの本に原文は載っていないし、
載っていたところで僕はペルシア語を知らない。
「あとがき」の最後で韻律についての説明があるが、
実際に耳で聴かないことには詩としての本来のよさがわかるはずもない。
しかし音こそは、絶対に翻訳できないものなのだ。

それでもなお翻訳された詩に意味があるとすれば、
何かしらの価値観なり人生観なりを伝えてくれるという点だろう。
そしてその価値観なり人生観なりが、
僕にあるところでは違和感を覚えさせ、あるところでは共鳴させる。
たとえばこんな詩(78番)。


迷いの道から信仰までは、ただの一瞬、
疑惑の世界から確信までは、ただの一瞬、
かくも尊い一瞬を楽しむようにせよ、
この一瞬のうちにこそ、われらの人生の結晶がある。


ハイヤームの詩には、日本の無常観にも通じるところがなくもない。
けれども、その無常観がここまで力強い現世肯定に結びついたり、
あるいは酒や女についての語りに化けることは、日本の場合珍しいように思う。
さらにそこへ、人間は神によって土から創られ、土に戻るという
イスラームの世界観が付け加わると、独特な感性がそこに生まれてくる。
次のような詩は、きっと日本では詠まれることがなかったに違いない(49番)。


地表の土砂のひとつひとつの粒子が、
かつては、輝く陽の君の頬、金星の美女の額であった。
袖にかかる砂塵をやさしく払うがよい、
それもまた、はかない女[ひと]の頬であった。


しかしそれでもなお、ここで言われている内容を僕は理解できるし、
そこを手掛かりにしてある種の共感を覚えることもできる。
それが詩の本来の味わいとは、ほど遠いものであったとしても。
こういう、理解を通じての共感、ということを、安易に手放したくはない。



ここではない場所に思いを馳せるのは、簡単なようでいて難しい。
とりわけそれが、行ったことのない場所であれば。

もちろん、行けるのなら行ってみるに越したことはない。
しかし行くのが困難、ないし不可能である場合でも、
そこで紡がれた言葉に耳を傾けるという方法はある。
明日からはまた、目の前の仕事に気持ちを集中させなければならないが、
このことを忘れないようにしよう。
by ariga_phs | 2011-05-08 21:51 | 斜めから読む
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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