公私混同する話[※長いです]
先日(と言ってもだいぶ前だけれど)、日本近世史のFさんと喋っているときに、



「号」の話になった。

江戸期の人物(学者)の場合、ふつうに知られている名前は
本名ではなく「号」のことが多い。
著作を出すときには基本的に号が記されていて、
しかも同じ人物が複数の号を使っていたりすることもある。
今でも作家がペンネームを用いることはよくあるが、
少なくとも学者(研究者)がそうしていることはめったにない。
それで、「号す」というのはいったいどういう感覚なのかしらね、と尋ねたのだ。

そこからしばらく喋った結果、こういう結論に至った。
要するに、号するというのは(たとえば)学者「として」書いているという
意識の表れなのではないか、と。
実際、当時は学者といっても多くの場合は武士階級の人間であって、
幕府や藩の中で何らかの役職についている。
重要なのはこれが彼らの生とは切り離すことができないという点だ。
武士はどこにいようが何をしていようが、武士という身分から離れることがない。
したがって本名が指すのはどうひっくり返っても武士「としての」自分であり、
そうではない立場というのを確保しようと思えば違う名前を(つまり号を)
使わざるをえなかったのではないか・・・。

もう少し言えば、号するというのは自分が本来の(武士としての)つながりとは
異なるコミュニティに属しているということの表明なのかもしれない
(これはFさんの意見)。
なるほど、しかしそうだとすれば、複数の号を持っているということは、
号によって所属していると思っているコミュニティが異なるということなのか
(これは僕の意見)。
以上はあくまで推測にすぎないが、なかなか楽しい議論だった。

****

僕も号を持ったほうがよいのだろうか、と考えてみた。

目下のところ、自分は週に2、3日会社に行って働き、
残りは主に大学に出掛けている。
(7~9月は業務が暇になったので出勤日を減らした。
たぶん10月以降はだんだん忙しくなって、
週4日くらいになるんじゃないかというのを見越した結果。)
会社での基本的な任務は、某産業分野に関する情報を集め、
必要に応じてデータの整理や分析を行うということなのだが、
これは目下進めている研究(博士論文)とは基本的に関係がない。
僕が雇われたのは専門知識のゆえではなく、
アカデミックな分野で培われた(と大いに期待されるところの)
情報収集・読解・分析能力のゆえである。

そういうわけだから、僕は極力はっきりと、
科学史家としての自分と企業の一員としての自分とを区別するようにした。
会社での勤務時間中は科学史のことは考えないし、
勤務時間外では業務のことは考えない、という具合に。
実際そうするほうが、この二重生活を送る上では楽なのだ。
しかしそうであるなら、会社にいるあいだは(あるいは学者でいるあいだは)
号を使ったらどうなのか、と思ったわけである。

****

けれども、8月頃から、そして特に最近になって、考えが変わってきた。

結論から言えば、いまの会社での業務とそれに伴う見聞・経験は、
僕が科学史を語るときの語り方に影響を与えずにはおかない。
それは大きく言って、互いに関連する二つの意味においてだ。

一つは、いわゆる「モード2」の問題。
モード論(知識生産のあり方が近年大きく変化してきているという話)は、
その概要くらいは大学院の入試勉強をしたときに(古!)頭に入れた記憶があるが、
それが何を言っているのか、当時は(というか今年になるまで)よくわからなかった。
今は非常によくわかる(少なくともわかったつもりでいる)、
なぜなら、会社でいま自分がやっている仕事がまさにこれだからだ。

そんなわけで、通勤電車の中で、モード論の古典である
ギボンズ編著『現代社会と知の創造』(丸善ライブラリー、1997)を読んだ。
正直まだよくわからない部分もあるのだが、大筋は把握できたと思うし、
これは確かに科学史(の通史)で触れないといけないだろう、と今ならば思う。
しかしそう思うようになったのは、この会社勤務あってのことであって、
縁あってこの仕事をさせていただいていなければ
そんな大それたことを考えるようになったかどうかは怪しい。

(なお、ついでなので書いておくと、この本はギボンズ「編著」であって「著」ではない。
たぶんそのためだと思うのだが、章によって言っていることが微妙に
違っていたりしてたちが悪い。)

もう一点は、この話とも大いに関係するのだが、工学と技術開発の問題である。
僕自身は強いて言うなら理論物理学と科学哲学から科学史に入った人間だし、
今でも基本的には哲学的・理論的関心から科学史研究をやっている。
そのため端的に言って、およそモノを相手にするのが得意でない。
実験をめぐる科学史や科学哲学の重要性は頭では理解できても、
研究するのに必要な嗅覚が決定的に利かない。
勢い、工学や技術の話は(よくわからないがゆえに)敬遠されることになる。

が、会社での仕事の一環として
工学系の総説記事やら企業での技術開発の動向紹介やらを読むにつれて、
「科学技術」(科学・技術ではない)というものについて
真面目に考えなければどうしたって駄目だろう、と思うようになった。
たぶん中島秀人先生なら同じようなことを言われるだろうと思うのだが、
そういう世界に接するというのは一種のカルチャーショックみたいなもので、
科学史というものに対する見方を根本的に問い直さざるをえなくなるのだ。
これも、今の会社勤務がなければ、少なくともそう簡単に「体験」することは
なかっただろうと思う。

****

今日(9/22)は、会社の業務の一環として、
「イノベーション・ジャパン 2011」というイベントに出掛けてきた。
全国の大学の(主として工学系の)研究室が研究成果を企業関係者に紹介して
産学連携につなげようという趣旨の見本市である。
基本的には業務に関わる分野の情報収集ということで出かけたのだが、
せっかくなので、昼休みの時間を使ってほかの分野のブースも見て回った。
実際、「なるほど」「それは面白い」というブースもいくつかあって、
当初予想していた以上に楽しかった。

こうなってくると、もはや公私混同はなはだしい。
しかし会社での経験が僕の科学史にとっての肥料になっているのは、
これはもうどうしようもないと言わねばならない。
逆に、たとえば本屋に出掛けたときには自分の趣味や本業のものとあわせて
業務関係の本もチェックしたり買ったりすることがあるし、
関連する一般向けの講演会を勤務時間外に聴きに行ったりもしている。
結局、科学史家としての自分と企業の一員としての自分とは、
分離しておこうと思っても分離できない段階に達してしまっていると思う。

****

僕は残念ながら、現代の科学技術の問題について関心を持つようになっても
やはり歴史(過去)のほうが面白いという感覚を手放せない程度には
歴史家だと思っているので、科学史から離れるつもりはまったくない。
ただ、企業の一員としての自分が得た貴重な経験を、
科学史家としての自分の経験に積極的に取り込んでいきたい。
アカデミックなモード1の業界と、ビジネスライクなモード2の業界とが
仮に違う世界だとしても、それらを生きている自分は同じ人間なのだし・・・。

・・・もっとも、単一の人格としての自己、定冠詞つきの「個人」に執着するのは、
なんだかいかにも西洋近代の発想のように思えなくもない。
なるほど、だから号するという習慣は失われたのだろうか、と思ったりもする。
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by ariga_phs | 2011-09-22 23:59 | 歳歳年年
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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