樺山紘一『西洋学事始』
樺山紘一『西洋学事始』中公文庫、c1987(改版2011)

ヨーロッパの科学史をやっていると、ときどき不思議な「学」に出くわす。
現代の学問体系では特に重視されていないかあるいは忘れられているのに、
その当時にあっては妙な存在感を持っている。
妙な存在感を持ってはいるがしかし、その実体がよくわからない、
気になるのだけれども――そういう「学」たちがあるのだ。



この本は、そういう、マイナーかつマージナルなのだがどうも気になる、
気になって夜も寝られない――なんてことはまあ、ないけど――
という「学」について、エッセイ風に綴っている。
初版は1982年に出ていて、著者は西洋史ではとても有名な方だ。

目次を見たときの反応は、たぶん大きく二つに分かれる。

・占星術
・光学
・紋章学
・系譜学
・古銭学
・古文書学
・カノン法
・官房学
・分類学
・修辞学
・言語学
・図像学
・美味学
・心理学
・詩学

A:え、何これ? 変なの…。
B:うわ、これちょっとおもしろすぎだって!

僕がどちらであったかは、まあ、言うまでもない。

実際、いろいろと勉強になる。
ヨーロッパ関係の歴史的なことをやっているなら、読んでおいてたぶん損はない。
もちろんここに挙がっているそれぞれの「学」について、
詳しく語りだしたら止まらない方々がきっといるには違いないだろうが、
一冊でこれだけの内容を概観できるのはお得である。

以下、特に印象に残った点を三つだけ。

一つは修辞学。科学史をやっている人間としては、
西洋中世の学問の基礎であった「リベラル・アーツ」というのが
文法・論理・修辞の三科と幾何・算術・天文・音楽の四科である、
ということは知識として知っている。
しかしその内実が何なのかということは、実のところよく知らない。
それでも四科のほうはまだ多少ましな気がするが、三科のほうは全然知らない。
たぶん中世~近世あたりにはそちらのほうが重要だったはずなのだが
(これについて概観できる適当な文献があったら紹介してください)。

特に、著者が論理学と修辞学の関係について言っていることが興味深い。
ちょっと大げさな言い方になるが、「真理」は論理的思考によって得られるのか、
それとも弁論や討議を通じて到達されるのか、という問題がそこにはある。
前者は科学的思考とされたものの原型、対して後者は民主主義の基礎、と・・・。

次に、図像学。
西洋絵画、特に宗教画にはさまざまな「規則」やら寓意やらがあることは有名だ。
ところでこの本を読むまでまったく考えたことがなかったのだが(!)、
そうした、画家や彫刻家のための手引となるような書物がヨーロッパにはあった。
著者は中世のキリスト教の教義注釈書が、図像学の始まりであったと言う。
イエスを十字架に固定した鉄のクギの数、最後の晩餐のときに使徒が座っていた順番、
そういったものは、好き勝手に描いてよいものではなかったということだ。

芸術はむしろ規則などとは関係なさそうに思うが、それが図像「学」となるとき、
そこには「造形の規約」(この章の副題)が生み出される。
何が正統なのか、あるいは何が正しいのか、「学」はそれを教える。
いや、教えるというより、縛る。
非常にわかりやすい話だ。わざわざフーコーに言及する必要もない。

最後に、官房学。
これは政治や経済に関する学知として、特に近世のドイツで行われた。
個人的には、ベッヒャーやらフリードリヒ2世やらユスティやらといった
知った名前が出てくるので親近感がある、というのもあって興味深く読んだ。

著者はドイツ官房学の一つの特徴を、大学教授の比率の高さに求めている。
イギリスやフランスと違い、ドイツには法律の権威を大学の講壇に求める向きがあった。
そうした背景のもと、「国家政策が、大学の学問のこととみなされていた。
最終的な裁断は、王の周辺の暗室でなされるにしても、経済政策と行政機構に
方向と理論をあたえるのは、いつも大学の教授たちであった」。

明治の日本はドイツに範を求めたが、その際、統治の学を本当に学びとることが
できただろうか、と著者は問う。

「統治は力であると結論してしまったのでは、学はうまれてこない。
つまるところ力だけが国家をささえるのだとしても、これを合理化する膨大な体系は、
それとして不可欠であろう。体制には、学があり知がふくまれていたことを
再認識する必要があるようにおもわれる。体制に奉仕する御用学者は、
たんなる打算的利害によってうごかされる臆病な知的無能者で、
他方抵抗する学と知はつねに理性をおびていたという論断がよくおこなわれるが、
その妥当性はあやうい。」

……知は力なり、ということがこの本の主題であるわけでも何でもないが、
どうしてかそんなところばかり気になってしまうようだ。
個人的にはむしろこういう西洋的発想から抜け出したいと思うのだが、
ヨーロッパのことをやればやるほど、どうしたってそれは染みついてくる。

やれやれ。

まあ、とはいえ、力だろうがなんだろうが、学知は面白い。これは譲れない。
それに、力をコントロールしたりマネジメントしたりできるのもまた、
何らかの「力」なのではないだろうか――単なる思いつきですが。
ヨーロッパのマニアックな学知の世界には、案外、そのヒントがあるかもしれない。
近代の枠に収まらないような何かが。
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by ariga_phs | 2012-01-16 17:36 | 斜めから読む
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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