Schaffer, "demonstration devices"
Simon Schaffer, "Machine philosophy: demonstration devices in Georgian mechanics," Osiris, 9 (1994): 157-182.

18世紀末頃のイングランドにおける、力学の"demonstration"=「証明/演示」の諸相。しかし実際の内容はかなりの部分、いわゆるアトウッドの器械が活力論争でどう使われたかという話。(タイトルに示して欲しかった…。)




[Introduction]
I. Atwood's machine
II. Atwood's machine and Newton's laws
III. Atwood's machine against living matter
IV. Atwood and Smeaton: the social function of friction
V. Atwood's machine in the marketplace

全体を通じて、この器械にはどのような役割が期待されていたか、ということが問題にされている。最初にこの装置に関わったのはアトウッドを始めとするケンブリッジの学者たちで、この器械はニュートンの主張した真理(ここでは主に、「力」が質量と速度に比例するということが主眼になっている模様)を証明し、アカデミックな信頼性を保つためのものであった(II)。また当時、活力説は物質の能動性の主張と結び付けられ、信仰を脅かすものと見られていたため、それに対する反論という意味もあった(II)。そうした中、シビル・エンジニアのスミートンが活力説を支持する実験を行ったが、アトウッドらはこれに対し、摩擦の効果を考えに入れる必要があると主張し、確立された学説そのものの正当性を保持した(III)。けれどもアトウッドの器械が広く流通するようになると、たとえば商人マジェランがこの装置をヴォルタ[!]に売ったときに見られるように、もはや学説の証明ではなく見世物(演示)に役立つという意味合いが強くなる。「講義室、実験室、公開の見世物においてアドウッドの器械が非常にさまざまに利用されたことは、その利用者によってかなり異なるパターンの振る舞いが要求されたことを示している」(p. 181, 意訳)。

個人的には、散見されるような社会的利害関係からの解釈はそんなに強調しなくてよいのではないかという気がする。装置や器具に何が期待されていたかという問いそのものは重要で面白いと思うが、それに対する答がsocialなものである必要は必ずしもないのでは?

自分の研究にとっては、活力論争(目下取り組んでいるテーマ)についての先行研究が新しく見つかったということと、18世紀における力学と実験哲学の関わりを考えるための手掛かりになりそうだということが重要。あと、demonstrationの二義性という問題についての参照先としても。
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by ariga_phs | 2012-01-18 08:22 | 何かに使えそう
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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