安部悦生『経営史』
安部悦生『経営史』第二版(日経文庫)日本経済新聞出版社、2010年

およそ何にでも、それがたどってきた歴史がある。
僕がやっている科学も例外ではないし、この本の対象である経営にも同じことが言える。



いわゆる「社会」を扱う学問分野から、僕は概して距離を置いてきた。
社会学、経済学、法学といった分野については、一般教養の授業すら
ごくわずかしか聴いていないし、自分で本を読むこともめったになかった。
正直、リアリティを感じなかったし、何が面白いのか分からなかった。
その意識がちょっとずつ変わってきたのはやはり会社勤務を始めてからのことで、
少なくともこういう入門書を読んでみようかと思うくらいにはなってきた。
そういうわけで、以下はまったくの素人の感想だということを断っておきたい。

この著者によると、経営史の対象は企業だという。
企業がいつ、どうやって生まれ、どのように発展し、いまに至っているのか。
そんなことが経営史では問題となる。

これはどちらかというと、歴史は歴史でも、いわゆる「歴史学」よりむしろ、
生物の進化の話に近いかもしれない。
個々の企業がひとつの個体で、それらの上位カテゴリとしての産業が種に当たる。
企業レベルでの競争と淘汰があり、産業の栄枯盛衰がある。
進化論が19世紀後半から20世紀初頭にかけて広まったとき、
それがむしろ生物よりは「社会」進化論として吹聴されたのも分かる気がする。
そして進化論が生まれたイギリスはまた、企業が生まれた国でもあった。

この本は、経営史を大きく次の三つの時期に区分している。
「会社の誕生:イギリスの産業革命」(第2章)
「ビッグ・ビジネスの成立:アメリカの第二次産業革命」(第3章)
「大競争時代:多様化する競争のかたち」(第4章)
さらにこれらに先立つ第1章では、「戦略商品と経済覇権の変遷」と題して、
全体の歴史的流れが語られている。

このような構成の仕方には、科学史と似たところがある。
実際、科学史の伝統的な通史はしばしば、
古代ギリシア、中世イスラーム、中世ヨーロッパときて、そのあとは
イタリア(ルネサンス;ガリレオ)、イギリス(王立協会;ニュートン)、
フランス(啓蒙思想からフランス革命を経てエコール・ポリテクニク)、
イギリスとドイツ(産業革命、物理科学と進化論)といった感じで進み、
第一次大戦をあたりを境にアメリカの話が中心となる。
「戦略商品と経済覇権の変遷」をもじって言うなら、
「重要テーマと科学覇権の変遷」ということになるだろうか。

もちろん歴史上の出来事というのはあらゆる時期、あらゆる地域で起こるのだし、
科学の場合、同じ時期・地域でもさまざまな分野の研究がなされているのだから、
たとえば「啓蒙期のスペインにおける科学」について論じてみたり、
「第二次大戦下のアメリカにおける植物学」について議論することもできる。
にもかかわらずそうした話題がめったに取り上げられないのは、
科学史の全体的な流れから見てそれがあまり重要と感じられないからだろう。
……僕がスペインや植物学に対して好意を持っていないからではない、きっと。

同じことが経営史の場合にもたぶん言えるのだろうと思う。
18~19世紀のイギリスや20世紀前半のアメリカにフォーカスするのは、
その時期・地域が経営あるいは企業の歴史にとって重要だからに違いない。
そしてそれが重要であるという認識は、この場合にはおそらく、
後の、というより現在の、企業のかたちがそこで育まれてきたという
認識に根差している。

たとえばアメリカの大手化学企業デュポンについては、
「工場の統廃合、研究開発部の設置、販売組織の新設など、
近代化のための方策を実行し」たこと、経営委員会という制度を
「いち早く導入し、アメリカ企業のプロトタイプを作り上げ」たこと、
また「近代的な事業部制が確立された」ことなどが紹介されている。
もしこうした改革を行ったのがデュポンでなく別の会社であったとしたなら、
デュポンの例が詳しく紹介されることはなかっただろう。
ちなみに、科学史でも取り上げられるデュポンでのナイロン開発
(これについては古川安氏の研究が世界的なスタンダードである)は、
経営史の立場から見ると、「重要な発明は大企業の、大研究開発部からしか
生まれない、といった印象を与えた」という意味があったそうだ。

同じような例が、日本の企業に関する記述にも見られる。
この本では「ケイレツ」の例として三菱が取り上げられ、
日本的生産システムについてはもちろんトヨタの話が紹介される。
それらが取り上げられているのは日本を誇る大企業だからというより、
今日につながる「日本的」な企業の事例になっているからであり、
かつ20世紀後半の一時期には世界に影響を与えたからだろう。

この点は、科学史の場合とだいぶ事情が異なる。
「重要テーマと科学覇権の変遷」という形で科学史を書こうと思ったとき、
そこに日本の話が入ってくる余地はほとんどないからだ。
「日本発のアイディア」というのはもちろん科学の分野でもたくさんあるが、
それが世界的に見た科学の流れ全体に影響を与えた、という例を、
僕は残念ながら思いつかない。
「日本科学史」は――そういうものがあるとして――
大文字の「科学史」と――そういうものがあるとして――どう関わるのか。
ずっと考えている難問中の難問だが、経営史ではそこを深く悩まずに済む。
正直、ちょっとうらやましい。

ここまで、科学史と対照しながら、経営史のヒストリオグラフィーについて
つらつらと書いてきた(そんな予定ではなかったのだけど、まあいいか)。
最後に、僕がこの本を読んだ限りで理解した経営史の今日的課題を2つ、
まとめておこう。

一つは、小さな会社から大企業へ、という流れの見直し。
今日では、ベンチャービジネスの成功(その典型はグーグル)を受けて、
大企業でなくても経済的に成功しうる、という認識が生まれてきた。
そしてそれを、歴史の中に回収する必要が生じてきている。
イギリスの産業革命の話の中で、ランカシャーの木綿工業が
比較的小さな企業の「産業集積」として語られたり、
ワットの蒸気機関の実用化に際してバーミンガムの機械工業の果たした役割が
「関連産業との共同」といった言葉で表現されているのはその例だと思う。

もう一つは、金融史との関係。
この本はサブプライム危機のあとに書かれた第二版で、
金融機能・制度に関する記述したことが最大の変更点だとされている。
「金融は経営の重要な側面ですから、金融史も含んでこそ
経営史はより完全なものとなります」と、「まえがき」にはある。
至極もっともだと思うのだが、しかし僕が読んだ印象としては、
この側面が本書の記述の中に織り込まれているとまでは言えないようだ。
従来の経営史に金融史の部分をただ付け足したにとどまっているように感じる。
本当に金融史を組み込むなら、経営の変遷において金融が果たした役割を
全編にわたって記述していかなくてはならないだろう。

およそ何の歴史であれ、現在の視点を組み込むには大変な努力が必要だ。
この本の対象である経営も例外ではないし、僕がやっている科学にも同じことが言える。
[PR]
by ariga_phs | 2012-01-23 00:40 | 斜めから読む
<< Golinski, "... 金子『図説 アインシュタイン』 >>

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

Vivre Comme Ornithorynque.
筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
ウェブサイトはこちら
カテゴリ
最新の記事
生存確認
at 2013-08-10 21:15
橋本毅彦『近代発明家列伝』
at 2013-06-15 21:32
オディロン・ルドン 夢の起源
at 2013-06-08 21:46
量子の地平線
at 2013-06-02 15:58
仕事
at 2013-05-07 21:26
その他のジャンル