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科学史と科学哲学
本日の「現代科学史勉強会」に関連して一言。



瀬戸口さんらと不定期で行っている「現代科学史勉強会」、
注:現代科学の歴史、ではなく、現代の科学史の意
今日はIsisの2008年春号の特集
"Fucus:Changing Directions in History and Philosophy of Science"
http://www.journals.uchicago.edu/toc/isis/2008/99/1
を読む。
注:Isisは、アメリカの科学史学会が発行する科学史の専門学術誌

科学哲学サイドから歴史にアプローチするエッセイ(試論)と
科学史サイドから哲学にアプローチするエッセイからなる今回の特集は、
久方ぶりに、大物が執筆者に名を連ねてきたという印象だ。
注:上記の勉強会では、IsisのFocusをずっと読んできている
そしていずれも、刺激的かつスリリングな内容だった。

しかし、勉強会の終わりの方でも話題になったことだが、
科学史と科学哲学とのコラボレーションを読者に訴えるというこの特集の趣旨には、
いろいろと考えさせられるものがある。
とりわけ僕などは最初から哲学的関心でもって科学史をやっている人間なので、
コラボレーションがどうこうと今さら言われても、という印象なのだが、
世界的に見た場合には(と言ってもつまり英語圏の、という意味だけれども)
これをあえて打ち出さなければならない状況なのだ。
つまり、世界的なトレンドとしては、科学史は歴史学の一分野になっていて、
哲学とはほとんど無縁なのである。
(ちなみに、日本はこうしたトレンドからはかなり外れている。)

他のところでも似たようなことを書いたような気がするが、僕の意見では、
科学史にはおそらく(潜在的に)三つの方向性があると思う。
つまり、科学、哲学、歴史学という。
そして僕が思うには、この三つにはどれも一長一短があり、
科学史がどれを志向すべきかという問いはナンセンスだ。
強いて方向性について述べるとすれば、この三つをうまく共存させる
(交流しつつ棲み分ける)べきだと考えている。
これは別に、それぞれの研究者が三つのバランスを取れということではない。
個人的にはそうでありたいと思っているけれども、
人に向き不向きというものがある以上、一般論としてそんなことは無理だ
(僕自身で言えば、おそらくどうやっても哲学寄りになってしまう)。
また、仮にすべての研究者がうまくバランスをとることに成功したとしても、
そうした研究者たちからなるコミュニティには将来性がないだろう。

ずいぶん話が大きくなってしまったのでそろそろ本題に戻るが、
要するに僕としては、Isisで今回のような特集が組まれたことを嬉しく思う。
(もちろん、組む必要がなかったならその方がよかったに違いないわけだが・・・。)
個別科学分野のテクニカルな発展に関する歴史もそれはそれで必要だと思うし、
歴史学(文化史・社会史)寄りの科学史も大いにやるべきだと思うのだが、
僕自身はやはり、科学哲学的な方向から科学史をやりたいのである。
by ariga_phs | 2008-11-20 20:12 | 歳歳年年
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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