「仕分け」でダーウィンは育つか
政権交代と「仕分け」その他で揺れた2009年が終わりに近づいてきた。
毎年恒例の「今年の漢字」は「新」に決まったそうだが、もっともな結果と思う。




ところで科学史にとっては、2009年は何よりもダーウィン・イヤーだったことになるだろう。
ダーウィンの生誕200年であると同時に主著『種の起源』出版150年でもある今年、
各方面でさまざまなイベントが企画され、またさまざまな関連書籍が出された。

僕は物理学史をメイン・フィールドにしている関係もあり、ダーウィンについてはあまり知らない。
とは言え、科学史上の有名人物<四天王>(※)の一人であるだけに、
通り一遍のことくらいは説明できないとさすがにまずいだろう、とも思う。
(※)ガリレオ、ニュートン、ダーウィン、アインシュタイン。僕は勝手に四天王と呼んでいる。

その意味で、今年はとても有益な本が二つ出た。
松永先生の『チャールズ・ダーウィンの生涯』(朝日選書)と
内井先生の『ダーウィンの思想』(岩波新書)である。
前者は歴史家らしく、ダーウィンがいつどこで何をしたのかについて詳細に記述されており、
当時の時代背景などについても非常に丁寧に書かれている。
これに対して後者は、やはりダーウィンの生涯を追って書かれているという点では同じだが、
ダーウィンの考えたことのエッセンスを取り出すといういかにも哲学者のスタンスで書かれている。
二冊はよい意味で好対照をなしていて、両方あわせて読むのが少なくとも今のところは
ダーウィンに近付く最良かつ最短ルートだろうと思う。

さて、この二冊からダーウィンに接近してみて、一番印象的だったのは彼の仕事量である。
ダーウィンの著作というと、進化論を展開した『種の起源』や、
ガラパゴス諸島への旅で特に有名な『ビーグル号航海記』がまず思い浮かぶが、
そのほかにも大量の本や論文があり、加えて恐ろしい分量の手紙を書いている。
しかもダーウィンという人は相当に凝り性だったようで、何かを研究するときには
その題材についてかなり徹底的に調べないと気が済まないタイプだったようだから、
いったいどれだけの時間が研究活動に割かれたのか、想像すると気が遠くなる。

実際問題として、なぜダーウィンにはそれほどの時間があったのだろうか。
答えは簡単だ。彼は働いていないからである。

ダーウィンはジェントルマン階級の人間であり、働かなくても家の財産で生活できた。
大学に職を持っていたわけでもなく、その意味ではアマチュアの学者である。
しかしこのバックグラウンドがなければ、つまりそれだけの「自由時間」がなければ、
進化論という巨大なものを構想し、証拠を大量に集めることはできなかったのではないだろうか。
ダーウィンが「天才」であったかどうかは僕にはわからないが、
しかし才能のあるなしにかかわらず、時間が重要なファクターだったのは確かだと思う。

そこでひるがえって、例の「仕分け」を考えてみる。そうするとどうも、
現代の研究資金の問題が人よりはむしろモノをめぐってなされているような印象がぬぐえない。
確かに「若手育成」ということはしばしば言われているのだが、では育った後はどうなるのか。
少なくとも、ダーウィンのように一生研究に打ち込める環境が保障されているとは思えない。
ダーウィンの時代と今では、科学研究における資金の意味が根本的に違っているように感じる。

ここで、考え方はいくつかに分かれる。
スパコンのような大型のモノに対する投資を人材育成に回すべきだという意見もあるかもしれない。
だがこれに対しては、モノがなければ人を育てたところで研究できない、という反論があるだろう。
ダーウィンの時代とは違い、研究の遂行自体に巨額の資金が必要なのだ、
だから人ではなくモノを中心にした「仕分け」がなされるのも当然だ、と。
しかしこれに対しては、そもそもそういう科学のあり方自体がおかしいのだ、という批判もありうる。
科学とは本来、個人の出来る範囲で関心を追及していくものではなかったのか、
わずかの資金でも出来ることはたくさんあるはずだ、と。
ここまで来ると、話はもう、科学とはどうあるべきか、という根本の問題に関わってくる。

僕はここで、どの立場がよいということを表明するつもりはない。
ただ言いたいのは、「仕分け」を始めとする現代の科学技術行政の発想(日本に限らず)では、
少なくともダーウィンは育たないだろう、ということである。
仮に、科学それ自体の本質的な発展というものがありうるとすれば、
それは時間を豊富に与えられた個人によるものでしかないように僕は思う。
他方で、現代の科学のあり方をそのまま続けたとしても、科学者たちの共同作業によって
さまざまな新技術は開発されるだろうし、自然についての理解は少しずつ深まるだろうとも思う。
要するに問題は、どこにどれだけの価値を認めるか、というところに行き着くのではないか。

『種の起源』から150年経ち、科学のあり方も、科学に対する価値観も大きく変わっている。
この先の科学がどのように進化していくか、予想するのはまず不可能だ。
ただ、個々の科学技術プロジェクトについて議論するのと並行して、
そもそも現代において科学の価値とは何か、ということを議論してみる必要はあるかもしれない。

たとえば50年後に過去を振り返ってみて、2009年は「新」しい年だったと言えるだろうか。
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by ariga_phs | 2009-12-12 12:08 | 歳歳年年
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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