お世話になっている先輩が、とある大学の常勤ポストを獲得したそうだ。
実におめでたい話!には違いないのだが、
手放しで「よかった」と言えるのかどうか正直よくわからない部分もある。
面識のある比較的若手の先生方はとかく授業や事務作業で忙しそうで、
「研究者」として満足に働けているわけではなさそうだからだ。
もちろん、大学は高等教育機関なのだから、
教えることに労力を費すべきだ、というのは一理ある。
しかしそうだとして、大学とはそもそも何を教えるところなのだろう。
これは簡単なようで意外と難しい問題である。
クリストフ・シャルル&ジャック・ヴェルジュ『大学の歴史』
(岡山茂・谷口清彦訳,文庫クセジュ,2009年)
を読んでいて強く感じたのは、大学という存在が誰を対象とし、何を教えてきたのかが
通時的にも共時的にも一定していないということだ。
中世から現代(第二次大戦まで)を概観するこのコンパクトな本を一読すると、
大学が社会とともに絶えず変容し続けていることがよくわかる。
そもそも大学という制度は中世のヨーロッパで生まれたものだが、
当初は学生や教員による自主的な組合(ウニヴェルシタス)だった。
それがやがて、教会や王権などといった権力と結びついていき、
社会的な出世のための階段としても使われるようになる。
一方で、中世以来伝統的に上位を占めていた神学・法学・医学の三学部に代わって、
19世紀以降には自然科学や社会科学の比重が高まっていく。
ただしそうした変化の仕方はヨーロッパの内においても決して同じではないし、
大学というシステムが外に移植された場合にも、土壌によって異なった花を咲かせている。
今日、大学の「改革」をめぐる議論をさまざまなところで耳にするが、
これも決して新しい状況というわけではないだろう。
それどころかむしろ、大学は800年このかた
常に改革され続けているといったほうがおそらく事実に近い。
大学の現状と未来に関心を持っている人にはぜひ本書を読んでみていただきたい。
考えるヒントと、さらなる手掛かりが得られるはずだ
(訳者による邦語文献一覧もついており、非常に便利である)。
ちなみに私見では、いま議論すべき論点の一つは、
大学は「研究・教育」機関なのか「教育」機関なのか、という点だと思っている。
ここで「研究」というのは主として自然科学分野を想定しているが、
科学史の観点からすると自然科学研究を大学が担ってきたという歴史は、実は浅い。
17-18世紀に大学が自然科学研究の最前線でなかったというのと似た状況が
21世紀に出現しても、僕は不思議ではないと思う
(その場合はたぶん、研究の中心は国以上のレベルの機関や企業になるのだろう)。
歴史は現今の問題に答えを与えてはくれないが、考える材料をそこから引き出すことはできる。
これがいかに陳腐に聞こえようと、科学史を教えることの意義もそこにあるはずだ。
めでたく就職された先輩には、ぜひそのあたりを実践していただきたい。
そして願わくば、今後も良い研究成果を発表していってもらえれば、と切に思う。