『ミドルワールド』
マーク・ホウ『ミドルワールド』感想。



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タイトルだけでは何の本だかわかりにくいが、話題の中心はブラウン運動である。
19世紀前半、顕微鏡で水中の花粉を観察していた植物学者ブラウンは、
粒子(花粉そのものではなかったと思われる)が不規則に動くのを目撃した。
しかもこれは花粉だけの現象ではなくて、有機物であれ無機物であれ、
「人間の髪の毛の太さの100分の1から10分の1」の大きさの物質に共通して見られる。
これがブラウン運動であり、それによって支配される世界が「ミドルワールド」である。

著者はブラウン運動を研究する物理学者で、小説も書くという人物らしい。
この本はブラウン運動にまつわる科学研究の歴史と現状を一般向けに紹介するもので、
とてもわかりやすく、かつ面白く書かれている。
一般向けの本で重要なのはどれだけ適切なたとえができるかということだと
僕は思っているのだが、その点、著者はとても上手だ(羨ましい)。

構成としては、おおむね前半が歴史的な話、後半が近年の話題になっている。
本全体としては、プラスチックからDNA、タンパク質に至る高分子の世界で
ブラウン運動がいかに重要かという後半の話のほうが重要だろうと思うが、
ここでは前半の、歴史の話について書いておこう。

基本的なストーリーは、可逆的な力学と不可逆的な熱力学が相次いで誕生し、
統計学を介して統合され、そうしてついにブラウン運動の理論と実験に至るというものだ。
ちなみに、ブラウンが「ミドルワールド」を観察した最初の人物だったとすれば、
この世界について最初の理論を打ち立てたのはアインシュタインである。
そしてそれに続いて、フランスのランジュヴァンとペランが理論と実験で決定的な貢献をした。
なお、20世紀初頭あたりには他にも何人かの人物がこの方面で仕事をしていたそうだが、
(グイー、サザランド、スモルコフスキー)、僕はまったく知らなかった。
(このあたりの話ももう少し詳しく知りたいが、残念ながら参考文献表がない。)

この本を読んでいると、物理学がいかに統計学化してきたかを改めて思い知らされる。
ミクロな世界(原子以下)を支配する量子力学も本質的に統計的な理論だが、
「ミドルワールド」もまた統計学を抜きにしては理解できない。
20世紀の物理学の歴史というと量子論と宇宙論(ミクロとマクロ)に話が向きがちだが、
それでは見落とされがちな側面をこの本は扱っていると思う。

もう一つ、科学史の関心から言うと、第2章のロバート・ブラウン小伝が目から鱗だった。
植物学者だということは聞いて知っていたが、バンクスの実質的な後継者で
しかも遺産(コレクション)まで譲り受けているとは知らなかった
(どうりで、大英博物館の植物学部門長になっているわけだ)。
しかもデーヴィーやジョン・ハーシェルとも交流していたということだから、
要するに19世紀初頭のイギリス科学界のど真ん中にいたことになる。
ちょっと意外、と同時に非常に興味がわいた。

なお、なぜこの本を読むことになったかと言えば、ある筋から書評を依頼されたため。
たぶんそれがなければ読むことはなかったと思うのだが、結果的に読んでよかった。
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by ariga_phs | 2010-02-11 10:44 | 斜めから読む
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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