カテゴリ:歳歳年年( 549 )

生存確認
全然更新していないけれど、生きてます、ということで。

……それにつけても、文章を書くことへの熱意がどこかに家出してしまって久しい。
本を読んでもそれを積極的にまとめようという気分になかなかならない。
読む本は読む本で、ほとんど自分の専門領域に関わるものばかりだ。

百聞は一見に如かず、
ここ数ヶ月のあいだに読んだり買ったり読みかけたりした本を挙げてみる
(専門的に過ぎるものは除いておこう)。
どれが既読でどれが未読かは、原則的にはあえて書かないでおく。

■安西徹雄『英文翻訳術』(ちくま学芸文庫、1995)
…もっと早くに一度読んでおいたらよかったのではないか。

■成田龍一『近現代日本史と歴史学』(中公新書、2012)
…歴史学では日本史上の各時代や出来事がどのように論じられてきたか。
 通読するよりレファレンスとして使ったほうがよさそう。

■F. デュレンマット『物理学者たち』(早稲田大学出版部、1984)
…20世紀スイスの作家の劇作集。
 『失脚/巫女の死』(光文社古典新訳文庫、2012)の解説で知った。

■三中信宏『進化思考の世界』(NHKブックス、2010)
…『系統樹思考の世界』『分類思考の世界』(ともに講談社現代新書)の続編。

■橋本毅彦『近代発明家列伝』(岩波新書、2013)
…著者からご恵投いただいた。感想は一つ前の記事に。

■Eric R. Scerri『周期表』(丸善サイエンス・パレット、2013)
…出版社勤務のS氏が贈ってくださった。内容は周期表の歴史。
 訳文が独特で最初は違和感が凄かったが、これはこれでありかもしれない。

■Michael J. Benton『生命の歴史』(丸善サイエンス・パレット、2013)
…これも出版社からご恵投いただく。生物進化の歴史の良心的解説。
 なお、このシリーズ、ほかの本も一緒に頂いてしまって大変恐縮なのだが、
 いま挙げた2冊以外は未読です。ごめんなさい。

■L.-N. マルクレス『書誌』(白水社文庫クセジュ、1981)
…本の情報を集めた目録の歴史を扱っている。あまり類書がなさそう。

■『科学朝日』編『殿様博物学の系譜』(朝日選書、1991)
…以前から欲しいと思っていたところ、古本で安く出ていたので購入。

■山科正平『細胞発見物語』(講談社ブルーバックス、2009)
…同じく古本屋にて。

■J・L・ハイルブロン『アーネスト・ラザフォード』(大月書店、2009)
…趣味と実益(?)を兼ねた一冊。

■川上未映子『愛の夢とか』(講談社、2013)
…新聞の書評(江國香織)を読んで買う。自分へのせめてもの抵抗。

■ジョン・ガートナー『ベル研究所の興亡』(文芸春秋、2013)
…これは読まないと駄目だろう、と思って即購入。

■堀越二郎『零戦』(角川文庫、2012)
…ある意味、今年の話題作。自分にとっては夏休みの読書感想文、の趣。

■生田哲『ドキュメント 遺伝子工学』(PHPサイエンスワールド新書、2013)
…1970年代のインスリン開発のドラマを扱っている。
 著者は元分子生物学者で現在は物書き、とのこと。

■門田隆将『吉田昌郎と福島第一原発の500日』(PHP、2012)
…吉田氏の訃報に接して購入したが、タイトルが少しミスリーディング。
 これはむしろ、現場で原発事故に遭遇した、名前ある沢山の人たちの記録。
 貴重なノンフィクション。

■冨塚清『ある科学者の戦中日記』(中公新書、1976)
…夏の暑い日に古本屋の店先で、100円で売っていた。

■高田誠二『『米欧回覧実記』の見た産業技術』(朝日選書、1995)
…確か買ったのは2, 3年前。ようやく読むタイミングが来た感がある。

■ジョゼフ&フランシス・ギース『中世ヨーロッパのテクノロジー』(講談社学術文庫、2012)
…国際学会(マンチェスター)の行き帰りに読む。良書。
 しかし注・文献を削ったのはともかく、索引がないのは痛い。

■石井寛治『日本の産業革命』(講談社学術文庫、2012)
…後回しにして、次の本を先に読むことに。

■中岡哲郎『近代技術の日本的展開』(朝日選書、2013)
…期待を裏切らない面白さ。こういうものを書けるようになりたい。



まだほかに何かあったかもしれないが、とりあえずはこんなところだろうか。

自分がどんどんつまらない人間になっていくようで悲しい。
しかしそれでも、生きていられるだけ感謝しなくては。
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by ariga_phs | 2013-08-10 21:15 | 歳歳年年

仕事
先日、実家に帰った折に過去の品々を整理していると、
かつて学部生の頃に受けた”職業適性テスト”の結果が出てきた。
何が書いてあったかはほとんど覚えていなかったが、
向いている職業の第1位だけは記憶にあった。「基礎研究」。

その頃、自分はこの結果に当惑したのだった。
確かに向いているかもしれないが、それになりたいとはあまり思わなかった。
むしろ、なりたいと思っていた大学教授というのが少しばかり低めの順位
――確か第7位あたり――だったのを残念に思ったように記憶している。

結果論だが、今の自分の職業は強いて言うなら「基礎研究」に近い。
科学博物館なのだから「学芸員」ではないのかと思われるかもしれないが、
実のところ自分の身分は「学芸員」ではなく「研究員」であって、
研究することが仕事になっている(少なくとも、建前の上では)。
もっとも、「学芸員」として働かねばならない場面というのも往々にしてあって、
その点については大変複雑な心境があるのだが、今回はその話は措く。
大学の教員ではなくて博物館の研究員になった、という一文の、
「教員」と「研究員」の部分について書きたい。

2月末に就職の内定をいただいたあと、最初にしたことは、
すでに来年度担当の決まっていた非常勤先にお詫びすることだった。
ほとんどの場合、次年度のシラバスは年明け頃には提出してしまう。
僕の場合も例外ではなく、すでに次年度の授業計画は作ってあった。
その授業たちを担当することを、わりと楽しみにしていた。
続投する授業については、今年うまく行かなかった部分を来年どうするかを、
初めての授業については、どんな話をどんなふうにしていくかを、
楽しみにしながら計画を立てていた。
それらを担当できなくなったことが、今回の就職にあたってほとんど唯一の
心残りだったと言っても、たぶん言い過ぎではないと思う。

ただ、案外そうではないのかもしれない、と最近、思い始めている。

きっかけはやはり実家に帰っているとき、同じく帰省していた妹が、
好きな仕事と向いている仕事は違うと発言したことにある。
詳細は省くが、彼女は好きな仕事を辞めて、今は向いている仕事をしているのだという。
それは諸々の事情を考えてみるにまったく的を射た自己分析だと思ったのだが、
同じことが僕の場合にも言えるのではないか、ということにも同時に思い至った。

授業をすること、教えることは、確かに好きなのだ。
それこそ、許されるならばどれだけ準備に時間と手間を注ぎ込んでも惜しくない程度に。
けれども昨年度、非常勤で数コマの授業を担当しながら、僕は漠然と、
「<やりがい>の搾取」(本多由紀)をも感じていた。
たぶんこういう働き方は人間としてよくない、ということを、なんとなく思っていた。

研究は、それとの対比で言うなら、僕にとってはもっと冷静に、あるいは自然に、
進められるような営みだと思う。
それが自分にとってまったく無理のない行為だというのは、
着任後1ヶ月のあいだに自分が行ってきたことを振り返れば分かる。
要するに、勤務時間外には、職場での研究のことをほとんど考えていないのだ。
教育ほどの「やりがい」はもたらさないかもしれないが、
確かに向いている仕事なのだと認めざるを得ない。

好きなことを仕事にできるのは幸せなことだ、と以前は思っていたし、
それがうまくできるのであれば、そうするに越したことはないと今でも思う。
ただ、そうではないような、それでいて満たされた働き方も案外あるのではないか。
これからしばらくは、そういう可能性を探ってみたいと思っている。
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by ariga_phs | 2013-05-07 21:26 | 歳歳年年

抱負
状況は気付かないうちに変わる。
置いていかれるのは常に自分のほうだ。
この一ヶ月のあいだに、引っ越して、就職して、入籍した。
目まぐるしい変化に驚いているわけではない。
この間、特に変わったフシのない自分に驚いている。

今後の抱負は、という話をしていて、最終的に落ち着いたのは
「家庭と仕事と個人の両立」だった。
つくづく、まったくその通りだなと思う。

個人を消さないことが、ある意味では最も簡単かもしれない。
あるいは、一番難しいかもしれない。
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by ariga_phs | 2013-04-22 20:23 | 歳歳年年

筑波雑感
まさか筑波に住むことになるとは思わなかった。

4月からの勤務先の関係だが、その話はまた今度にしたい。
ともかく3月25日の月曜日、小雨の降る日に、筑波に引っ越してきた。
その日のうちに必要最低限の片付けだけ済ませると、
翌26日は丸一日、市役所に出掛けたり運転免許の書き換えに行ったりして終わった。
27, 28日は両日、所要のため都内に出掛けてきた。
今日(29日)になってようやく、自分の部屋を少しばかり片付けたり、
これまでとこれからを考えたりする時間ができた。

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今回の引っ越しが決まる前、筑波には一度だけ来たことがあった。
秋葉原からつくばエクスプレス(TX)に乗り、終点で降りて地上に出てきたとき、
そこに広がる人工的な空間に強烈な違和感を覚えたのを記憶している。
道路はまっすぐか、もしくは計画的に曲がっていて、概して広い。
高層ビルこそほとんどないが、建物は一辺がやたらと長い。
「整」という漢字を具体化したような、いかにも「新しく開発しました」という感じ。
住んでいる方々には悪いけれども、自分はここには住みたくないなあ、
となんとなく思った。そこに住むことになった。

部屋を探した際、不動産屋で聞いた話によると、
つくば駅の周りはTXが開通してからがらっと変わったのであるらしい。
確かに、駅から少し離れると、依然として人工的な雰囲気はあるけれども、
多少こなれたような、人間に馴染んだ空気を感じる。
「以前に新しく開発されました」というような。
そういう、このくらいならまあ住めるかな、というあたりに部屋を借りた。
依然として室内には本の詰まった段ボール箱が積み上がり、
新しく必要になる一部の家具も必需品と言ってよい自転車もまだないが、
生活できるという感覚はほんのりと漂っている。

2年前、調布に越してきたときもそうだった。
引っ越しはすでにしてあったが、実質的に住み始めたのは震災の直後で、
空になったスーパーの棚やガソリンスタンドに列をなすたくさんの車を目撃し、
さらに計画停電まで体験してしまった。
ここで生活できる、と思えるようになったのがいつ頃だったのかは定かでない。
ただ、4月の末から非常勤の研究員として会社に行くようになったあたりからは、
やるべきことができた、というのと、収入に目処が立ったという理由で、
精神的にもだいぶ安定したのではなかったかと思う。
そして震災と、その会社での経験がなければ、たぶん筑波に来ることはなかった。

仮に震災がなければ、あるいは引き続き京都で暮らしていたなら、
今回の就職はありえなかっただろうと思う。
僕はたぶん、18世紀の力学という研究テーマをあるいは横方向に広げて
18世紀の西洋科学史を研究し、あるいは縦方向に広げて
理論的な力学の歴史を研究していただろう(それで就職できたとして)。
今でもそういうことをやりたいとは感じている。間違いなく。
けれども2年間で、自分の意識は決定的に変わってしまった。
一言で言えば、テクノロジーや工学というものを抜きにして、
あるいはその日本での歴史的展開を抜きにして科学史を考えることに
意義を見出せなくなった。
僕自身がそんなことを望んだわけではない。しかしそうなってしまった。

--------

「つくば市」という名称が、どうも気に入らない。
「筑波市」とすればよいのに、なぜ名前までそんなに人工的にするのか。
人工的であることがアイデンティティだとでもいうのだろうか
――案外、そうなのかもしれない。

引っ越してきてから、駅や家の周辺を歩き回ってみて感じたことがいくつかある。
見かける人の年齢層がそれほど高くない(お年寄りが少ない)こと、
牛丼屋のような安い店がほとんどないこと、やたらと塾を見かけること。
「つくば市」が理工系の研究機関の集積地であることを考えると、
そうしたことはたぶん説明がつく。
駅ビルの書店に『nature ダイジェスト』が置いてあったり、
「この歩道はロボットが通ることがあります」という表示のあったりする都市が、
日本にここ以外あるのかどうか僕は知らない。
いずれにせよ、相当極端なところであるのは確かだろう。
まちそのものが、サイエンスとテクノロジーで成り立っている。
僕が今まで18世紀のヨーロッパに探ってきた「科学」とは、質感の異なる何かで。

望んだわけではまったくないのに、つくば市民になってしまった。
ただ考えようによっては、現代の科学技術 science-based technology
について考えてみるのにこれほどふさわしい場所もないように思う。
どんな場所にも、そこからでは見えないものと、そこからしか見えないものがある。
僕はその両方を追い続けたい。
ここに何年住むのかわからないが、同調しつつ、違和感を保ち続けていきたい。

大したもので、この数日で早くも、まちの雰囲気にはだいぶ慣れてきた。
せめて意図的に、ことあるごとに「つくば」でなく「筑波」と書きたい。





#付、このブログの今後について

これまでにもたびたび運用方針を変えてきたこのブログですが、
今後は随想めいた雑文を書くのに特化します。
雑文には、本(日本語の一般書、科学史関連のものも含む)の感想や、
仕事内容に関わる話題も含まれる予定です。

以前に一時期載せていた、科学史の専門的な論文のまとめは、
近いうちに別のところに移転させます。
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by ariga_phs | 2013-03-29 21:35 | 歳歳年年

最近の話
10月20日だったかに学振特別研究員の審査結果が出て、不採用となった。
通らない可能性はもちろんあると思っていたが、正直あれほど低い評価とは思わなかった。
震災の後で自分は何をするのか、何ができるかを考えた末の書類だっただけに尚更。
それで一気に緊張の糸が切れた。

何か1つのことに自信を無くすと、連鎖的にいろいろと自信を失うものだ。
そこからの1ヶ月ほどは、毎回授業のたびに「うまくいかなかった」という繰り返し。
だいたい、こちらが自信なく喋っている講義が聴く側に面白く聞こえるはずはないわけで、
こうなると負のフィードバックループにはまってしまう。
学生さんには申し訳なかった。

救いだったのは市民講座。
ちょうど学振の結果が出た直後から、だいたい毎週1回、計5回話をした。
コペルニクスからニュートンまでという、ある意味では素朴過ぎるようなテーマを、
自分なりのまとめ方で話すという試み。
受講生の方々(ほとんど60代以上)は物凄く熱心で、反応はとてもよかった。
「ぜひ続きをやってほしい」「ぜひこの内容を本にして出してほしい」
といったことまで、何人かの方からは言っていただいた。
これが無かったら本当につぶれていたかもしれない(精神的に)。

11月のあいだに、9月の研究集会で発表した内容を論文(英語)にまとめた。
それから、来年の国際科学史会議で発表するための要旨(英語)を書いた。
前者に関しては、校閲に出している余裕がなかったけれども仕方ない。
後者に関しては、参加費用などをどうするのかという大問題があるけれども、
ある先生の紹介でシンポジウムに参加することになっているのでともかく書いて出した。
それからさらに、公募への応募が一件(推薦状をいただいた先生方に感謝します)。
・・・あの精神状態でよくこれだけ進められたと思う。

博士論文の年内提出は断念した。課程博士の期限には間に合わなかった。

本当は、上で書いたもろもろを手放してむしろこちらを取るべきだったとも思う。
しかし仮にそうしていたとしても、間に合ったのかどうかは分からない。
とりあえず出来たところをまとめて出す、というのが賢い選択だったのも知っている
(実際、ある人からは何度もそのように説得された、とても有難かった)。
けれども、ようやく自分の中で話の筋が通りそうな感触がある中で、
中途半端なものはどうしても出したくなかった。
思っていたよりも自分は、器用な人間ではなかったらしい。

ここ数ヶ月、授業などを除けば、研究会にも顔を出さず、人ともほとんど会わず、
それどころか授業や論文や書類に関わる以外のものを、
読んだり書いたりすることすらしなかった。
結果としてこれは、精神衛生上、とてつもなく悪かったと反省している。
兎角いろいろなものを「面白い」と思ってかじってみる、という雑食系の生き方が
本来の自分の流儀にもかかわらず、それを過剰に抑圧したのはよくなかった。

そういうわけで、ブログの更新なども再開していきたいと思う。
今日の昼間は数ヵ月ぶりに、自分の研究とは直接関係のない
科学史の専門書(英語)を読んでいた。
とても楽しかった。

ようやくそこまで戻ってきた。
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by ariga_phs | 2012-12-08 22:38 | 歳歳年年

言葉の兆し
言葉が兆すとはどういうことか、と考える。

兆すからには、それ以前にはなかったのだろう。
あるいは、もっと前にはあったのかもしれないが。
そして兆すからには、まだ本格的には到来していないのだろう。
将来のことはともかく。

しかし将来、というものが、今でもまだ期待できるだろうか。
「先行きが不安だ」「世の中がどうなっていくのかわからない」
そういう感覚は、確かに以前からもあった。
ただそのように言われるとき、ひとが抱いていたイメージは、
ちょうど暗い森の中に道が吸い込まれていくように、
深い霧に包まれて数メートル先の視界が利かないというように、
道はあるがそれがどうなっているか見分けられない、
というものであったように思う。
あるいは、ハンドルもブレーキもない車に乗せられていて、
突っ走っていく爽快さに浮かれつつも、どこへ連れて行かれるのかという
漠然とした不安であったかもしれない。
しかしいずれにせよ、そこに道があるには違いなかった。

震災のインパクトは、それとは異なる。
道はある日突然途切れて、そこで終わるかもしれない――
(ちょうど、かつての戦争でそれまでの生活が断ち切られたように)。

それに気付いたとたん、ひとは無口になる。



……。





…………。





「この度はほんとうに、何と言ったらよいか……」
という表現が日本語にはある。

この自己矛盾はなかなか深い。
語る言葉がないのに、それでも何かを言わないといけないという感覚。
それはもしかすると、言葉を本当に失ってしまったら生きていけないと
本能的に察知するからかもしれない。
この先まだ生きていこうとするならば、何かを言わないといけない。
辛いことだが。

震災後の四月から一年間に二人の作家のあいだで交わされた
『往復書簡 言葉の兆し』(朝日新聞出版)を読んでいて、
ふだんの自分が使っている日本語の貧相さ、軽薄さに愕然とした。
言葉にはそれなりにこだわっているつもりが、
まるで遊びでしかなかったと思い知らされる。

もっと価値ある言葉を使いたい、と思う。
それが自分には結局無理な話だとしても、そう願わずにいられない。
道がある日突然途切れるのではないかというあの切迫感は失わずに、
それでいて一歩を前に踏み出していくような言葉が欲しい。

「回復と言い復興と言い、傷を負った樹が屈曲しながら、
生長していくのに、おそらく変わらない」(古井由吉、2012/1/16)

「時間がいったん断たれたところから時が生起するのを
いまはじっと待ち受けています」(佐伯一麦、2012/3/20)

あるいはそれは、文章という形にはならないのかもしれないが。
思わず口からこぼれる祈りの文句には、
切実さと温かさの両方があるように思う。





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(野川燈籠流し。あいにく開始後に雷雨中断となり、そこで帰ってきた。)
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by ariga_phs | 2012-08-17 23:59 | 歳歳年年

夏休み
長野県は北アルプスの麓にある山小屋に、二泊三日でお邪魔させていただいた。
彼女が大学時代、サークルで山に登っていたのだが、その関係の施設(?)である。
僕は完全にゲスト扱いで、彼女の登山仲間お二人に大変お世話になった。

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■山小屋はこの奥。完全に森の中。


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■近くの河原。山間の川、は僕の好きな場所である。


僕はと言えば、高校の頃に(そんなに本格的でない)山歩きの部活に入っていたものの、
大学以降はさっぱりと行かなくなった。
今年の5月に高尾山を歩いたのは、果たして何年ぶりの“登山”だったか。





今回は、山小屋に泊まったとは言うものの、本格的な登山はしなかった。
その代わり、山上の高山植物園をハイキングしに出かけた。

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■ここからゴンドラで山上へ。


実を言うと、ここには子どもの頃、家族でスキーに来たことがある。
15年ぶりくらいということになるが、意外と雰囲気は変わっていない。
夏に訪れるのは初めてだったが、とても懐かしかった。

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■ゴンドラの中から。


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■どんどん高度が上がってきた。





山上に着くと、ほとんど別世界である。
涼しいうえ、眼前には向かいの山々が迫っている。
登山したわけでもないのに登山した気になる(それがよいかどうかはともかく)。
ゲレンデを活用してさまざまな植物が植えられた風景は、
人工的なものとはいえ、雰囲気があってなかなかよい。

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■高山植物園はこんなところ。


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■山中には雪も見える。絵になる景色(おじさんは我々とは無関係)。


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■珍しい花たち。シモツケソウ(上)とエゾアジサイ(下)。





思うに、僕にとっては、普段見られない風景を見るということが
ストレス解消という意味でもずいぶん効果的なのだろう。
森の木々、川の流れ、眼下の田畑や家々、それから山並み、
なぜかわからないが、そういうものを「見る」ことに喜びを覚える。
自分は意外なほど視覚的な人間だということを、
昨年あたりから強く意識するようになった。

何にせよ、ずいぶんと贅沢な時間を過ごさせていただいた。
暇な時間もあるだろうと持って行った仕事道具の出番は結局なかった。
はからずも、夏休みらしい夏休みだったと思う。










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あそこから見える風景を一度見てみたいような、しかし見てみたくないような。。
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by ariga_phs | 2012-08-09 23:59 | 歳歳年年

引篭る
引篭っている。
何から? ――「世の中」から。たぶん。

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「情報」というのが苦手だ。
いや、正確には、「情報の洪水」が苦手だ。
どうして「世の中」の人々は、あれが平気なのか。
それとも本当は、平気な人などごく一部なのだろうか。

『災害弱者と情報弱者』という本を読んだ。
3.11以降「何が見過ごされたのか」を問い、
災害に対して特に脆弱な人々の存在や、情報へのアクセスをめぐる格差、
といった問題を提起している。
著者の一人が友人であるという特殊事情を措いても、好感の持てる本だった。
自分たちの手にしている情報や立場を絶対化せず、
そこから零れ落ちるものに常に注意が向けられていたからだ。

話は変わるけれども、スマートフォンは危ないと前から思っている。
スマートフォン自体が危ないわけではないのだが、
それを使っているユーザーに危機感を覚えることがある。
インターネットとの距離感がまるで違うのだ。
僕は持っていないので、他人が使っているのを見た推測でしかないが、
スマートフォンのユーザーはほとんど腕時計に目をやる感覚で
インターネットに接続しているような気がする。
そのことが良いか悪いかは僕には分からない。危惧しているのは、
インターネットとのその距離感がすべての人にとって当たり前だと思っていないか、
ということだ。

僕は普段、ノートPC+モバイル接続という形でネットを利用していることもあり、
あまりネットを使っていない。
2日か3日に一度くらいしか、PCをネットにつながない。
この文章も、ウェブ上ではなく、ローカルのテキストエディタで書いたものを
後からコピー&ペーストしたものだ。
普段は携帯(旧来の、いわゆるガラケー)で必要最低限の情報を得ている。
Twitterも、何かつぶやきたいことがあったときなどに携帯で画面を開く程度。
タイムラインを追う、ということも基本的にない。
そして実際、これで何も不自由していない。

世の中が僕に合わせてくれればいいのに、とは言わない
(いいのに、と思うのは確かだけれども)。
ただ、根本的に情報が苦手という人間がいることも分かってほしい。

ある種の被害妄想かもしれないが、いわゆる論壇に立つ人たちや、
Twitter上で議論をしている人たちは、概して情報に強い体質なのだと思う。
僕はああいうふうには振る舞えない。
一を聴いたら、十とは言わないまでも五くらい考えてからでないと発言できない。
しかし考えているうちに話題はどんどん流れていく。
タイミングを逸した言葉が、僕の中に堆積していく。それがストレスになる。
だから引篭っている。

・・・





・・・・・・







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そういえばしばらく書評を書いていないな、と思った。

たぶん僕が、世の中と言葉でつながれる回路を求めるとしたら、
書評というのが一番確実で有意義だろうと自分では思っている。
いや、「思っている」というか、「思い出した」。
弱者には弱者なりに、できることがある。

・・・もっとも、自分が弱者だと思い込むのもたいがい危険なことだけれど。
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by ariga_phs | 2012-07-16 23:59 | 歳歳年年

サンシャイン水族館
その水族館は、池袋の駅から15分ほど目抜き通りと複合施設を歩いた先にあった。
水族館がビルの屋上にあるというのは、いかにも東京らしい。

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[※画像は本文とは関係ありません]



京都にいた頃は、何度か大阪の海遊館に行ったことがある。
電車を乗り継いで海のそばまで出掛けていく、めったにない遠出だった。
さらに記憶をひっくり返せば、姫路の水族館にも行ったことがあった。
京都のど真ん中に水族館が作られるという、その計画すらまったくなかった頃だ。
水族館は遠いところにあるもの、のはずだった。

サンシャイン水族館は、それほど大きくはない。
しかしその割には、世界各地の水槽が用意され、主な生き物が揃っている。
回遊するイワシ、薄暗い中にたたずむタカアシガニ、大きな水槽を泳ぎ回るエイ、
ラッコにアザラシ、それからペンギン・・・。
都会の真ん中の、それも複合ビルの屋上という立地で、
これだけの生き物を飼うことの大変さと奇妙さ。
ここで大きな地震が起こったらどうなるだろう、という考えがふと、頭をよぎる。

つまり都会的なのだな、と思う。
この水族館そのものが、本来もっと大きいはずの水族館のダイジェスト版のようだ。
遠出の難しい都会人のために誂えられた場所。
忙しい都会人が、短時間でひととおり見ることのできる施設。
平日の昼間ということで、小さい子供を連れたお母さんたちが多い。
あるいは、もしかすると趣味のブログにでも載せるのか、
本格的なカメラで写真を何枚も撮っている人も幾人か見かけた。

水族館って、こんなところだったか。
そんな違和感をどこかに感じつつ、しかしそれでも楽しく見て回る。
考えてみれば、二人で水族館に来たのはこれが初めてだった。
これから先、水族館は遠出の目的地ではなくなるのだろうか。
都会に閉じ込められることのかすかな息苦しさと、
これでいいという感覚とのあいだで、
最後に見たペンギンのコーナーからは、潮と魚の臭いがやけに強く漂っていた。










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これは怖い。
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by ariga_phs | 2012-07-03 23:59 | 歳歳年年

割り切れない話
理由もよくわからないのに気分が塞ぐ、というのはあまり気持ちのいいものではない。
じゃあ理由がわかれば気持ちがいいのか、と言えばそんなこともないわけだが。

1,2週間前から、どうも調子がよくないのだった。
研究にも身が入り切らないし、なにより身体がなんとなく重たい。眠い。
別に忙しくしているわけでもなし、どうも理不尽だ、割り切れない。

割り切れないと言えば、数字の2は割り切れないことが苦手な性格なのだという。
それで帽子やきゅうりとは最初、打ち解けられなかったのだと。

江國香織の『ホテル カクタス』を読んだのである。
ひと月ほど前だったか、BxxKxxFで単行本が叩き売られているのを買った。
考えてみればそういうものを買っている時点で
何かが足りないと心身が訴えていたのかもしれない。
とはいえようやくページを開いてみたのは1,2週間ほど前のことで、
そのときも確かここで読んでいたのだったような気がする。
半分くらい読んでまた日常に戻った。そして今日を迎えた。
続きを読んだ。読み終わった。そうしてまた、日常に戻るに違いない。

それはそれとして、本当にまあ、三人のキャラクターがうまくできている。
帽子ときゅうりと数字の2を「人」で数えるのかという疑問はもっともだが、
事実「人」で数えられているのだから仕方ない。
なんとなくハードボイルドの入った初老の帽子と、
悪気のない真直ぐな性格で運動好きな若者のきゅうりと、
役所勤めで少し神経質なところのある数字の2と。
古ぼけたアパート「ホテル・カクタス」での彼らの日常と交流、
そのシーンの一つ一つが実に豊かにイメージされてくる。
小説というより、絵本を開いているような錯覚にとらわれるのはなぜだろう。
どうして言葉だけの、しかもごく短い簡単な文章が、
これだけ良質な絵の具の役割を果たすのだろう。

長いこと、満足のいく文章を書いていないような気がする。

文章ならそれこそ毎日でも書いている。
書き進めている博士論文は、これはこれで、よい内容になっていると信じている。
けれどもそのことと、書いている文章に自分が満たされているかどうかとは別だ。
考えながら書く文章は、書いている途中で淀んでしまう。
考えが固まる先から書いていかなくては、直感をそのまま文字にしていかなくては、
本当に満足のいく文章にはならない。
理性ではなく感情を写し取るような文章を、たぶん書きたがっている。

(論文なんかも、そうやって書けたらいいのに。)

梅雨入りして気候が安定しないことも、気分が乗らない一因かもしれない。
今夜もわずかに小雨がぱらついていて、窓の外の道路を走る車のたてる水音が、
音楽のかかった店内にまで時折わずかに響いてくる。

残念ながら、この話が気持ちのいい落ちを迎えることはなさそうだ。
まあ、別にそれでもいいけど。――今のところは。

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ちょっとくらい仕事しようかな。
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by ariga_phs | 2012-06-16 20:50 | 歳歳年年

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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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