オディロン・ルドン 夢の起源
『オディロン・ルドン 夢の起源』
@損保ジャパン東郷青児美術館(新宿)


個人を扱った展覧会を見るときに僕がいつも考えるのは、
この人は何を描きたかったのか、何にこだわっていたのかということだ。
今回のルドン展では、それがよく分からなかった。
というより、観に行ったことでよく分からなくなった。

いつものことだが、オディロン・ルドン(1840-1916)という人物について
あらかじめよく知っていたわけではない。
どこかで展覧会のポスターを見かけたとき、例の黒いやつが目に留まり、
それで興味を持った。
丸い、もじゃもじゃした黒いかたまりにどこか愛嬌のある顔が描かれ、
その球体から八本の足が出ている、クモらしき例のあいつである。

しかし展覧会を見に行ってみて、そういう画がこの画家にとって
一部でしかない、ということを知った。
いや、一部でしかないというより、一時期でしかない、と言うべきか。

『オディロン・ルドン 夢の起源』はまず、この画家の生まれ育った街、
ボルドーを描いたリトグラフを示し、ルドンの師であった画家たちの絵や、
ルドンに影響を与えたという植物学者の図版を紹介することから始まる。
師の一人、ブレスダンの銅版画は、幻想的主題を極めて細かく描きこんだもので、
これはこれで見る価値があった。
ルドンも師と似た作品を何点か描いたが、その一方、風景画にも取り組んでいた。
こうした油彩画は静かな雰囲気をたたえた、それでいて存在感のあるもので、
特に『薔薇色の岩』(1885頃)が僕はとても気に入った。

ところが、1879年から、ルドンはそれまでと大きく違う作品群を制作している。
「黒の時代」と呼ばれる銅版画や木炭画で、奇妙な形の生物や顔が、
幻想的な空間の中に配置されたものだ。
例のクモのようなやつ――『蜘蛛』というタイトル――は明るくて可愛げがあるが、
全体としては仄暗い、薄気味悪い作品が並んでいる。
中でも特に、『眼は奇妙な気球のように無限に向かう』の印象は強烈だった。
また別の意味で、『そして探究者は限りない探究の途にあった』は意味深である。
窓外に樹の見える『日の光』は、僕は好きだが、あまりこの画家ぽくはない気がする。

一般に、ルドンという芸術家はこの「黒の時代」の作品で有名なのだと思う。
しかし今回の展覧会では、「黒の時代」を扱った第2部のあとに、
それと同じくらいの分量を持った第3部「色彩のファンタジー」が来る。
ここに来てルドンの作品は、神話的・宗教的モチーフを描いたものが中心になる。
先ほどまでのモノトーンの世界とは異なり、赤や青のさまざまな色彩が
画布の上に置かれるようになる。
しかしカラーと言っても、それは全体的に重たく、平べったく、不透明なものだ。
僕はこの時期の作品はあまり好きになれない気がするが、
『オフィーリア』や『アレゴリー:太陽によって赤く染められたのではない赤い木』
などには、奥行きのある物語の存在を感じないわけではない。

いったい、ルドンは何を描きたかったのだろう。
「黒の時代」の作品群と後年の作品群とに、何か通底するものはあるのだろうか。
どちらの場合にも、顔と植物は多く登場してくるように思う、が、
それをどうあっても描かねばならないと彼が感じていたのかどうかが分からない。
僕はそこを知りたいのだけれど……。

ただ、今回の展覧会で、ルドンという人物を「黒の時代」だけで語ってはいけない、
ということはよく分かった。
彼が亡くなったときにイーゼルに置かれていたという未完の作品が、
展覧会の最後を飾っていた。
そこに描かれていたのは、静かに物思いに耽る聖母の姿だった。
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# by ariga_phs | 2013-06-08 21:46 | 斜めから読む

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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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