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程度問題
久しぶりの更新になってしまった。



このしばらくはあちこち動き回っていたので、なかなか更新する機会がなかったのだ。
東京を出発したり、名古屋や金沢まで足を運んだりして、
ようやく京都に落ち着いた。

例によってその間、いろいろな人と会った。
そして人と会うと、たいがいそこで、いろんな課題を言い渡される。

日本を含む東アジアでのニュートンの受容とはどのようなものだったか
基本的なところを調べておく、というのもだいぶハードには違いないが、
このブログをもっと面白くする、というのはそれに輪をかけてハードだ。
いや、「輪をかけて」どころではないか・・・。

****

書き手が何を考えたり感じたりしているのかが見えない、と言われたのだ。
そこがわからないと、読んでいても楽しくないじゃない、と。
正直、痛いところを衝かれた。
急所、と言ってもいいかもしれない。

実を言うと、以前に別のところで、匿名でブログを書いていたことがあるのだ。
最近このブログで始めた、小説やら美術展やらの感想は、
もともとそちらで断続的に書いていたものだ。
ただ、そのブログでは、もう少し自分の考えなり感情なりをストレートに書いていた。
それが正直、かなりストレートだったものだから、
この実名ブログにそうした要素を持ちこむことにはどうしても躊躇してしまう。
その結果が、書き手がよく見えないという事態になっているのだろう。

話は変わるが、以前、「ブログの書き方」のような本をぱらぱらと読んでいたら、
よいブログには筆者のキャラが必要だということが書いてあった。
たぶんその通りだろうと思うし、それができれば上の問題はたぶん解消するのだが、
残念なことに僕はそういうキャラを見つけられていない。
というか、そもそも、そういうふうに自分でありつつも自分でない書き手を作り出すことは
不得手かつ嫌いなんじゃないかと思っている。

しかし、じゃあ本当に何もかもストレートに書くことが果たしてよいのか、というと
それも問題があるような気がするわけだ。
実名でものを書き、それを人目に曝すという場合に、
どの程度の内面の露出をすべきか、あるいはすべきでないか。
結局のところ、自分はずぅっとそれに悩んでいるのだな、ということに改めて気付く。

ただ、そう悲観はしていない。

趣味の本や展覧会の話をこのブログで書き始めた時点で、
隠していたものが隠しきれなくなることは承知していたはずなのだ。
どの程度が適切なのか、あとは時間が解決してくれるだろう。
少なくとも、後戻りはできないし。

****

・・・とはいえ、現状では面白くない、と言われたのは相当こたえた。
悔しいので、今回批判されたことを踏まえて、配合の度合いを少し変えてみようと思う。
読んでいただいている方々にはいい迷惑かと思うのだが、
まだまだ模索中・修行中ということでご理解いただけると嬉しい。
なんだかんだ言っても、他人から面白いと言ってもらえるものを書きたいので。
by ariga_phs | 2011-02-15 23:59 | 歳歳年年
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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