稲葉肇「ギブスの熱力学と統計力学:物理化学の視点から」
『科学史研究』第49巻(2010年)、1-10頁。
ここしばらく趣味の記事や日記が続いていたので、そろそろ本業のほうを・・・。
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物理学のなかでも、温度や気体の圧力など、
主として熱に関係する性質を扱う分野は熱力学と呼ばれる。
また、それを原子や分子の集団が持つ統計的な性質だと考えて研究する場合、
このアプローチのことを統計力学という。
(※不正確さを承知で、物理を知らない人にわかるように説明するとこんな感じではないか。)
どちらも19世紀に大きく発展した分野で、それを集大成したとされるのが
ギブスというアメリカ人(1839-1903)である。
科学史ではときどきあることだが、ギブスという人は名前が有名なわりに、
具体的に何をしたのかあまり知られていない。
いま大学で教えられている熱力学や統計力学を作った人なのであろう、と、
物理学を学んだことのある人ならそう思うに違いない。
それが案外そうでない、というのがこの論文の主張になる。
何がどう「そうでない」かと言うと、ギブスは統計力学を定式化するとき、
物理化学の問題を念頭に置いていたというのである。
物理化学というのは、化学反応に代表されるような化学現象に対して
物理学の理論を使ってアプローチする分野をいう。
実のところ、ギブスはもともとそちらの方面で研究業績を挙げていた人だった。
そして物理化学分野で彼が取り組んでいた問題(たとえば電池や半透膜)が、
統計力学でもやはり登場してくる、ということをこの論文は明らかにしている。
そこにはギブスなりの、一貫した問題意識があったわけだ。
現代の統計物理学で、そんな物理化学的問題が取り沙汰されることはまずない。
要するに、ギブスの統計力学と今日の統計力学とでは、
問題関心の所在がかなり違うということになる。
このことがいったん了解されたなら、
過去の科学に対する見方はだいぶ違ってくるのではないだろうか。
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稲葉君は僕の後輩の院生。
この論文が(査読付きのものとしては)処女作だが、
たぶんこの先20年くらいは、ギブスの統計力学に関する基本文献になると思う。
実を言うと、今日の昼間にあった理学研究科でのセミナーで、彼が話をしてきたのである。
お客さんもたくさん集まったし、質問もいろいろと出て盛況だった。
物理学史である以上、物理屋さんが興味を持ってくれるのは当然なわけで、
その期待に応えるというのもひとつ重要なことではないかと思う。