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6月11日
その日、新宿では大規模なデモが行われた。
原発に反対する、とても大きなものだ。
そのことを僕は知っていた。



知っていたが、僕は参加していない。

****

夜21時頃、新宿駅の近くで珈琲を飲みながら、本を読んでいた。
大島真寿美『ピエタ』。
物語は終わりに近付いていた。
中心人物のひとり、クラウディアが重い病気になっているという知らせが、
主人公のエミーリアのところにもたらされたのだった。

この小説の重要な人物は、かなりの部分、女性だった。
エミーリア、アンナ・マリーア、ヴェロニカ、クラウディア、…。
男性はと言えば、あくまで彼女たちをつなぐための存在でしかないように感じる。
最重要人物である「赤毛の司祭」こと音楽家のアントニオ・ヴィヴァルディにせよ、
物語の冒頭で既に帰らぬ人となっていたのだった。

そう、先月の下旬のことだったか。
ある日いつものように勤務先から帰ってきて鞄を置き、
スーツを脱いだら途端に、強烈な感情に襲われたのだった。

小説が読みたい。

それから少しして、僕は駅前の本屋の棚のあいだを歩き回っていた。
今の自分が一番欲しているものを、敏感に見つけ出さなくてはならない。
何冊も小説を読めるような贅沢な生活ではない、選択を誤ってはならない。

小説が読みたい。小説が読みたい。

たぶん、もういい加減、気持ちが擦り減っていたのだろうと思う。
考えてみれば最後に小説を読んだのはいつだったか。
それすら思い出せなかった。
はっきりしているのは、それが3月11日より前だということだけだ。

大島真寿美という作家のことは、実のところよく知らない。
以前にいくつか短編を読んだことがあると思うが、
そのときはそこまで面白いとも、しっくり来るとも感じなかったような気がする。
それにもかかわらず、手に取って最初の一ページで、これだと直感した。

何がそんなによかったのか、と考えてみる。
文章の流れ方が自分にとってごく自然だった、というのは間違いない。
最後まで読了してみて思うが、この話には明確なストーリー性があるわけではなく、
先がどうなるのか気になって読み進めるというタイプの本ではなかった。

舞台は18世紀のヴェネツィア。
そこに、孤児たちの暮らす『ピエタ』という教会の慈善施設がある。
エミーリアもアンナ・マリーアもそこで育ち、
<合奏・合唱の娘たち>の一員として教育された。
ヴィヴァルディはそこの音楽教師だった。
そのヴィヴァルディが、旅先のウィーンで亡くなったという訃報から物語が始まる。
交流のあったピエタの女性たちの過去と思い出が語りだされ、
新たに人と人とがつながり始める。
エミーリアの一人称で語られるこの物語は、そうして先へと進んでいく。

****

新宿に来ようと思っていたわけではなかった。

午前中はたまっていた洗濯物を片付けたりするので手一杯だったし、
午後は下北沢で京都時代からの知人と会っていたのだった。
珈琲を飲みながら、あれやこれやと話をした。

先週一週間は特に忙しかった、
月・木・金は終日会社、
火は急遽15時まで出社したあと移動して夜に読書会、
そして水は大学を梯子して授業二つに出席、
その合間に読書会・授業のテキストを読んだり博論のことを考えたりもした。

頭と体と、それに心が疲れ切っていた。
地震・津波・原発に対して結局のところほとんど何もできていないという
ある意味では理不尽な後ろめたさに加えて、
自分のわりと身近なところで起こっている人の問題についても
何も力になれていなかったということに新たに気付いてしまった、
という事情があった。

とてもではないが、デモどころではない。
それが言い訳なのはわかっているが、けれども僕にとって喫緊の問題は
国のエネルギー政策ではない。放射能でもない。
僕はそれをどうやっても自分の「所有格」(知人)で述べることができない。
その事実そのものがまた、僕を憂鬱にさせる。

―棚に上げた荷物をときどき、人と話して上げ直さないといけないのではないか、
とその人は言った。言い方はともかく、そういう趣旨だった。
棚上げしないと生活はできない、しかし上げた荷物はときどき落ちてくる。
だから何かにつけて、議論するなり弱音を吐くなりしないとやっていけない。

言われてみて、目から鱗が落ちた。
当たり前のことなのに、自分にとっては疑いえないことなのに、忘れていた。

僕らはたぶん、語ることを求めている。

****

『ピエタ』を読み終わった。
寂しい結末ではなかったが、ハッピーエンドと言うのも違う。
穏やかな音と光のあふれる終わり方に、心の底から満足した。



新宿に後輩を送っていく前には、久しぶりに歌いにも行った。
ある程度ストレスが溜まっているときのほうが出来がよいのは皮肉なものだ。



長い一日が終わり、また新しい日々が始まる。
by ariga_phs | 2011-06-12 22:38 | 歳歳年年
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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