橋本毅彦『近代発明家列伝:世界をつないだ九つの技術』
岩波新書,2013年.
よい本だと思う。ただ、たぶん、思い込みが足りない。
一般向けに本を書くのが難しい理由の一つは、専門書や教科書を著す場合とは
異なる価値観が要求される点にあるのだと思う。
違いは細かく見ればいろいろあると思うが、あえて論点を絞ってみるなら、
どれだけ偏ったことを書けるか、ということになるだろうか。
この本では、18世紀から20世紀までに活躍した欧米の技術者・発明家、
計9人が取り上げられている。
エジソンやベル、ライト兄弟といった、たぶん誰でも知っている人々に加えて、
ハリソン、ブルネル、デフォレストといったマイナーな――
しかしその筋では極めて有名な――人物に注目しているのが特徴である。
科学史あるいは技術史の専門家として、著者はきちんとした仕事をされている。
つまり、どの章も、その人物や発明を扱った歴史研究の成果をふまえ、
そこで得られた知見をわかりやすく説明している。
科学史・技術史の専門的な研究者、特にその中心であるべき40~50代あたりの
先生方がなかなか一般向けに本を書かれない、という状況の中で、
こういうものが出されるのは非常に嬉しい。
しかし実際に読んでみた印象として
(何を隠そう、本書は著者からご恵投いただいたのだが)、
これだと一般読者にはそこまで受けないのではないか、とも感じる。
読み進めているときの「わくわく感」が、無いとは言わないが、少ないと思う。
最初の1, 2章を読んだ読者が、期待したよりも楽しくなくて読むのをやめてしまう、
そんなことにはならないかと心配している(杞憂であってほしいのだが)。
なぜそうなのかということを考えてみたが、一つの仮説として、
本全体を貫くものが見えにくくなっているからではないか、
ということに思い至った。
著者は「おわりに」の中で、「九つの技術はさまざまな分野にわたるが、
その多くが『空間の征服』に関わるものである」と書いている。
「航海、鉄道、通信、自動車、飛行機、ロケット。空間の征服はまた、
それまで費やしていた時間の大幅な短縮によって、『時間の征服』という
ことをも意味した」と。
正直な話、僕はここまで読んでくるまで、このことに気付いていなかった。
確かに言われてみれば、本書で取り上げられているのがなぜこの9人であって
ほかの人間ではないのかという理由がこれで分かる。
しかしそうであるのなら、本の始めから、かつ、ことあるごとに、
この主題を強調していただきたかった。
“本書に登場する技術は、その多くが『空間の征服』に関わるものである。
航海、鉄道、通信、自動車、飛行機、ロケット。空間の征服はまた、
それまで費やしていた時間の大幅な短縮によって、『時間の征服』という
ことをも意味した”
――このように書き出されていたなら、読者の受ける印象はもう少し
違うものになったのではないか。
同じことが、「おわりに」で説かれている「各章の物語に通底する一つのテーマ」
についても言える。そこで書かれていることの要点は、一言でまとめるなら、
“技術とは社会の中で動くシステムである”ということだ。
僕は著者のこれまでの仕事についてもある程度知っているので、
おそらくこれが、橋本先生が科学技術を見るときの根本的視点なのだろうと思う。
そしてその眼で見るなら、本書は確かに全体としてそういうことを論じている。
けれども、その見方、あえて言うなら著者の個人的な思い込みは、
本文から掬いとるのが非常に難しい。
9人の技術者と9つの技術はわりあい淡々と説明され、
著者が何を面白いと思っているのか、何が重要と考えているのかが見えにくい。
よい意味と悪い意味の両方で、本書の記述は教科書的なのだ。
個人的には、先生にはぜひ技術史の概説書を著してほしいと思っている
(物理学を中心とした科学史の本、『〈科学の発想〉をたずねて』は事実、
良質な科学史の入門書である)。
そしてそれとは別に、もっとご自身の視点を全面的に出した一般書を
書いていただきたいとも思っている。
それはもはや、科学史の普及がうんぬんとかそういう話ではない。
単に、僕がそれを読んでみたいのだ。