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教科書問題
あるいは、村上陽一郎『科学・技術の二〇〇年をたどりなおす』の感想。



おそらく科学史の関係者なら誰でも同意してくれると思うのだが、
現在、科学史には、適当な教科書がない。
僕はこれを勝手に科学史の「教科書問題」と呼ぶことにしている
(と言うか、今そう呼ぶことにした)。

ここで「教科書」という言葉で僕がイメージしているのはどんな本かと言うと、

(a)通史であること(特定の時代・地域に記述が集中しすぎないこと)
(b)分野横断的であること(特定の分野に偏らないこと)

という二つの条件を満たすもの、ということなのだが、
これが極めて難しいことはもちろん承知している。

理由はいくつかある。
一つは、そもそも「科学」をどう定義するかという問題。
これによって、どの時代・地域の、どの分野を扱うかが変わってくる。
しかも本質的なこととして、「科学」とか"science"といったカテゴリー自体が
歴史的に変遷しているという事情があるので、
現代の観点から安直に「科学」というカテゴリーを設定することには問題がつきまとう。
この問題を何らかの仕方で解決しない限り、科学史の教科書というのは書けない。
僕はずっとそれを考えているけれども、なかなか腑に落ちる解釈が見つからない。

それからもう一つ、最近の科学史の専門的な研究はほとんどが
特定の時代・地域に特化することによって行われており、
いわゆる"big picture"を描くことが困難になっているという事情がある。
何でもそうだと思うのだが、事例が多くなればなるほど単純な一般化は難しい。
専門的な個々の研究書をまとめることで大きな流れを作るというのは
原理的には可能だろうが、実際問題としては極めて困難だ。
それほどに、専門的な研究の数は膨大なものになってきている。
…もっとも、日本語の文献だけ見ていると全くそうは思えないのだが。。



先日、村上陽一郎氏が『科学・技術の二〇〇年をたどりなおす』(NTT出版)
という本を出された。「やりなおしサイエンス講座」というシリーズの栄えある第一巻で、
現代の科学に至るまでの筋道を一般向けにスケッチしたという内容である。
対象は専ら十九世紀から二十世紀前半で、物理学・生物学・情報科学の三本柱に加え、
科学論(科学史・科学哲学・科学社会学)についても一章が割かれている。
守備範囲の広さや語り方など、いかにも村上氏の面目躍如という印象で、
科学史の入門書としては悪くないと思う。
(ただし、情報科学について書かれた章は「歴史」になっていないと思うが。)

だがこの本も、入門書ではあっても教科書ではない。
とりあえず参考文献が示されていないのが致命的なのだが、それを別にしても、
扱っている時代・地域、分野が相当に限定されてしまっている。
(念のために断わっておくが、これは同書に対する批判ではない。
僕が挙げている理想があまりに高すぎるだけの話。)
現在のような「科学」が誕生したのが十九世紀であるということに異論はないが、
それでもやはり、それ以前を扱わない本を、僕は科学史の教科書とは認めない。

しかしながら、内容の限定のされ方よりも遙かに残念なのは、
科学論に割かれた章で紹介されている科学史・科学哲学・科学社会学が、
1970年代くらいで止まってしまっているという点である
(例えば大雑把に言って、科学史だとクーンまでという印象)。
正直言ってこれでは、どうやってもコンテンポラリーな教科書には成り得ない。
この本は「やりなおしサイエンス講座」の一冊ということで、
近年の科学の進展については各分野の専門家が解説することになっているのだが、
同様の補完が科学論の各分野についても必要なのだ。
そして、それが最も深刻なのは三つのうち科学史ではないかと思っている。



科学史の教科書を書いて博論になるのなら、喜んでやるんだけどなあ…。
by ariga_phs | 2008-03-14 23:47 | 歳歳年年
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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