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プラナリアとT・H・モーガン
「プラナリアの頭と尾の形成メカニズム解明」というニュースを見かけた。
http://sankei.jp.msn.com/science/science/091208/scn0912080825002-n1.htm




プラナリアといえば、二つに切断するとそれぞれが個体になるという驚異的な生き物だ。
いや、二つどころか、もっとたくさんに切り分けても再生してくるという。
実物を見たことは(たぶん)ないのだけれど、一度写真で見ると忘れられない。。。
(微妙にかわいい、という評価もあったりなかったり・・・。)

で、そのプラナリアだが、たとえば頭としっぽに切り分けると、頭のほうからはしっぽが、
しっぽのほうからは頭が生えてくる。頭から頭が生えたりは(正常であれば)しない。

 頭-しっぽ
  ↓
 頭 || しっぽ
  ↓
 頭-し || 頁-しっぽ
  ↓
 頭-しっぽ || 頭-しっぽ

ちなみに、確か三分割した場合でも、真ん中のピースからは頭としっぽが正しい方向に
再生するのだったと思う。つまり、再生時にはちゃんと方向がわきまえられているのだ。
これを「極性」がある、という。

冒頭で紹介した記事は、これがどういうメカニズムで制御されているのかが解明された、
というものだ。簡単にまとめると、プラナリアの体内では、ある種のタンパク質がつねに
頭からしっぽに向かって「流れて」いるというのがポイントらしい。
これによって、どちらが頭でどちらがしっぽなのか判断できるというわけだ。なるほど。

ところで、その記事を一番最後まで読むと、そこに意外なことが書いてある。

 プラナリアをめぐっては、ノーベル賞を受賞した米科学者、トーマス・ハント・モーガン氏が
 再生に極性があることを1900年代に発見している。

・・・モーガン? モーガンって、あの? そんなことやってたの??



わからない人のために説明しよう。モーガンとはずばり、「ハエの人」である。

いや、これは冗談jなんかじゃないのだ。
20世紀初頭のアメリカでショウジョウバエを使った遺伝研究チームを率い、
さまざまな突然変異を研究することで遺伝子の染色体説(遺伝子が染色体上にあるという説)を
実験的に確証したのがまさにこの人なのである。
モーガンはこの業績で、1933年のノーベル生理学・医学賞を受けている。
(なお、彼自身は1910年に突然変異体を発見するまで染色体説に否定的だったそうだが、
これはまた別のお話。)

話を戻そう。
てっきりハエの人だとばかり思っていたのに、実はプラナリアの人だったのか?
気になったので少し調べてみた。

結論から言うと、1900年前後、モーガンは確かにプラナリアを研究していた。
ただしプラナリアだけではなくて、再生現象一般に関心があったらしい。
プラナリア以外にも、ミミズ、魚、サンショウウオ、ヤドカリなどで実験をしたのだという。
(ますます「ハエの人」のイメージが崩れてきた・・・。)
モーガンはこうした再生現象が、生物の発生と深く関係していると考えていたらしい。

余談だが、この当時モーガンはブリン・マー・カレッジという女子大に勤めていた。
1885年創立のこの学校は、女子大としてはほとんど最初期のものではないかと思う。
1889年から92年までの間には、ここに日本から津田梅子が留学していた。
彼女はまさにモーガンの指導を受け、カエルの発生について研究して帰国する。
時期的には、津田がモーガンのプラナリア研究を手伝うという展開もありえたのかもしれないが、
実際のところは不明である。
ただ当時、少なくともプラナリアの実験を行った女性が一人いたことは確かなようだ。
ブリン・マーの出身で、卒業後も実験室で研究していたリリアン・サンプソン。
1903年、モーガンがブリン・マーから異動するタイミングで、二人は婚約する。
いろいろな意味で、この時期のモーガンには興味が尽きない・・・。

閑話休題。
モーガンはさまざまな生き物の実験を通じて、確かに「極性」を発見していた。
だがそれだけではない。実はモーガンは、これを説明するためにある仮説を唱えていたのだ。

その仮説とは、生物の体内には頭やしっぽの「要素」(stuff)が
グラデーションをなして分布している、というものだった。
つまり、頭からしっぽに向かうにつれ、「頭要素」はだんだん減っていき、
逆に「しっぽ要素」は増えていく。
そうして、再生時にはこれらの「要素」が活性化され、「要素」に応じた組織が再生する、
これがモーガンの説明である。
上で見た最近の説明と決定的に違う点は、モーガンの仮説では生物のそれぞれの部位で
「要素」が基本的に定まっているのに対して、最近提唱された考え方では
タンパク質が流れる(移動する)ことになっているという点だろう。

後にはモーガン自身、グラデーションの考え方を捨てることになるが、
20世紀初頭には、この仮説はなかなか有力なものだったようだ。
確かに、少なくとも直観的には、悪くない説明のように思える。



・・・というわけで、モーガンは決して「ハエの人」なだけではなかった。
ショウジョウバエの遺伝学研究に隠れてしまっているけれども、
それ以前のモーガンの研究内容はむしろ、発生学や細胞学の分野と関わりが深い。
後の二つは、特に19世紀後半に非常に盛んになった分野である。
また、モーガンが再生現象を研究していた女子大がどういうところだったのかも気になる。
20世紀が始まった時点で、女性の高等教育(科学を含む)というのは
まだずいぶん目新しいものだったのではないかと思うのだが・・・。

かくして、プラナリアから始まった今回の調査は、はからずも、
19世紀末~20世紀初頭のアメリカ生物学の状況をうかがわせるものになった。
歴史への入口はどこにでも転がっている、と思わずにはいられない。



それにしても、例の新聞記事を書いた人はどこからモーガンの情報を仕入れたのだろう・・・。


参考文献
Gerald E. Allen, Thomas Hunt Morgan, Princeton Univ. Pr., 1978.
Ian Shine and Sylvia Wrobel, Thomas Hunt Morgan, Univ. Pr. of Kentucky, 1976.
渡辺正隆『DNAの謎に挑む』朝日選書,1998.

by ariga_phs | 2009-12-09 22:09 | 歳歳年年
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筆者プロフィール
有賀暢迪(1982年生)
科学史家。筑波在住。
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